丹後の地名 越前版

越前

谷口(たにぐち)
福井県敦賀市谷口


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福井県敦賀市谷口

福井県敦賀郡東郷村谷口

谷口の概要




《谷口の概要》
市街地の東方。大蔵の対岸で、東は山地、西は北陸自動車道が縦断する。地名は西谷川が木ノ芽川に流入する地点で、西谷の入口にあたることから、谷口と呼ばれた(東郷村誌)。西谷川に沿って登った地に西谷滝がある。西谷は池河内への出入口にあたった。
中世の谷口は、戦国期に見える地名。「冷泉為広卿越後下向日記」延徳3年(1491)3月7日条に「西シ谷口チ」と見え、敦賀から今庄まで赴く途中のルートとして記されている。永禄元年(1558)6月5日の善妙寺領目録(善妙寺文書)に、塔頭正行庵領1反について「在坪ハ谷口之下」と記す。慶長国絵図には谷口村と見え高35石5斗2升7合。
近世の谷口村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)小浜藩領、天和2年(1682)からは旗本酒井氏知行(井川領)。享保12年(1727)の家数11(高持5・無高5・寺1)・人数50。当地住人の祖先が井川村から分かれて住みついたためか、産土神として井川皇大神宮を祀る。明治3年本保県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」に戸数14(全戸農)・人口60、産物は製茶20斤・桐実30石・桑200貫・薪6,300束・割木1万5,000貫。同22年東郷村の大字となる。
近代の谷口は、明治22年~現在の大字名。はじめ東郷村、昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西1町余・南北30間、戸数13、人口は男31 ・ 女40。木ノ芽道・敦賀道(舞崎方面)・長野尾峠の分岐点で東郷村の中心的な位置にあり、村役場が置かれた。昭和49年、一部が樋ノ水町・深川町、同55年若泉町となった。


《谷口の人口・世帯数》 66・23


《谷口の主な社寺など》

真宗大谷派願浄寺


『敦賀郡誌』
谷口  井川の北に在り。舊官道と敦賀道との分岐點なり。 東郷村役場あり、初舞崎に在り、明治二年七月一日此に移す。 願淨寺、眞宗大谷派、東本願寺末。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


谷口の主な歴史記録



谷口の伝説





谷口の小字一覧

谷口  水上 桑ノ木谷 寸道 村中 川北 神田 半河原 絶峯 若山 柳原 古道 下道 北海道 寺下出 長畑 稲荷藪 野尻 箱田 茶屋ノ下 小橋 中河原 石駕籠 向河原 広田 地蔵前 西厂田 山岬 向河原下 東山花 上六田 生水尻 新御所 下八反田 馬正面 モロケ 上モロケ 鳥羽深 川 関前 三丁田東 弐町田 子ギ田 五丁田西 田鍬


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



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