丹後の地名 越前版

越前

田尻(たじり)
福井県敦賀市田尻


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


福井県敦賀市田尻

福井県敦賀郡東郷村田尻

田尻の概要




《田尻の概要》
国道476号から、県道209号五幡新保停車場線へ1キロほど入った集落、四方は山地。集落は南条・北条に分れる。ウツロキ峠を下って東浦の五幡浦に通じる。
中世の田尻は、戦国期に見える地名で、永正4年(1507)10月27日の朝倉貞景安堵状写に「新保・葉原・田尻等」が見え、川勢九郎に安堵されている。慶長国絵図では新保村1,162石余の一部。
近世の田尻村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)小浜藩領、天和2年(1682)鞠山藩領、明治3年小浜藩領。享保12年(1727)の家数27(高持19・無高7・寺1)・人数169、牛3、馬11。当村は石灰を産した。石灰は肥灰ともいい、安永年間(1772~81)に無許可で焼き藩から差し止められた。その後嘉永4年(1851)肥灰仲間定を取り決め石灰生産にあたった。はじめは村内の肥料として消費したが、やがて加賀方面へ移出されるようになった。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」に、戸数23(全戸農)・人口92、農業の「傍ラ炭瓦或ハ石灰ヲ焼クモノアリ、之ヲ運送スルモノアリテ各其業ヲ別テリ古ヨリ異動ナシト云フト雖モ、瓦焼ノ業ヲ創メシハ維新以後ナリ」。産物は石灰5,000俵・瓦1万2,000枚・牛蒡45貫・桐実25石・櫨実10貫・割木3,700貫・炭950俵。同22年東郷村の大字となる。
近代の田尻は、明治22年~現在の大字名。はじめ東郷村、昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西40間・南北1町余、戸数24、人口は男65・女62。石灰は大正年間にも滝ケ谷やホラ口で焼き、石川県へ販売。大正4年には新保駅から30tを移出した。


《田尻の人口・世帯数》 41・24


《田尻の主な社寺など》

日吉神社

日吉神社は字堂脇に鎮座。もと剣大明神・八幡大明神・山王権現の三神同殿。旧村社。
『敦賀郡神社誌』
村社  日吉神社  敦賀軍東郷村田尻字堂脇
位置と概況 本區は西方山嶽対峙し、東南北の三面は田野稍々開け、東北數町にて北陸鐵道線路の踏切を經て、木ノ芽街道に出でこゝより十餘町にて、北方は葉原區へ、南方は獺河内區に至る。西方は山路を經て東浦村赤崎區へ、西北方は五幡山連峰の谷間を通ずる縣道により五幡區に至る事を得る、當區の鎭守日吉神社は、この縣道に沿へる山麓にあつて社域の道路より、石階二十二級を上りて鳥居を潛り、こゝより更に二十三級の石階を上れば平地あり、これより又更に進んで石階十段を級して、本殿鎮座の浄域に入る。本殿は西面し給ひ、區内より約二町の北端、東方の堂ノ脇と稱する山麓である。社城には大木とては無けれども、小杉繁茂し、稍々大なる公孫樹一株は、他に秀でて社頭を守りてゐる。社地は高燥にて、區内を一望し得る景勝の地であるが、社背は山氣に充たされ嵐の漠々たるを吐いてゐる。
祭神 大山咋命、配神 剱大神、八幡大神
由緒 按ずるに、當社は明治維新まで剱大明神・八幡大明神・山王権現の三神を同殿に祀りしが、維新の際神社の改新に當り、日吉神社と改稱して、剱大神・八幡大神を配神として祀った。今尚封建時代に用ひられた神祭の幣束の幣棒三本を保存せるを見て、三神合祀の事實を證し得る。明治十一年八月二日村社に列せられた。往古當區より西北方三町餘の山ノ木と呼びし地籍の山麓に鎮座し給ひしを、何れかの時代に現地に遷座し給へりと傳へてゐる。
祭日 例祭 五月三日(元舊四月三日)  祈年祭 三月十六日 新嘗祭 十一月二十九日
特殊神饌と神事 現時は一月元日より三日間、毎朝餅粥を供へ、十四日には五倍子(フシ)樹にて作つた削木二本を供へ、夕刻より區内青年團員が参籠し、十五日朝、雑煮を供へてゐるが、舊時は小豆粥を供へたとのことである。
 鎭火祭 三月十五日に神殿御炎上の事ありしことを傳ふるも、年代は詳かでないが、例年舊五月三日に古風のまゝの鎭火祭を執行してゐる。
 御百燈祭 舊八月十五日御百燈と稱し、神前に多数の燈明を點じ、饌を献じ、區内青年團員は直曾を爲して参籠する。
本殿  …


浄土宗法然山松岸院

法然山松岸院は文禄3年(1594)喜林融繁の開基という。集落を見下ろす高い所にある。背後の高架は北陸自動車道。

『敦賀志』
田尻村 〔獺河内の北、官道より北手の山へ入〕
氏神劔大明神・宇佐八幡・山王同殿にます、松岸院〔浄土宗西福寺末〕 此村より山路をへて五幡へ出る道有、牛房ハ都の堀河共いひつへく、柔にして味も亦佳也、故に好産とす、炭薪を市に鬻けり、

『敦賀郡誌』
田尻 越坂の北に在り。官道より北に入る。 氏神、日吉神社、村社、舊は劔大明神・宇佐八幡・山王三神同殿に祀れり。 西岸院、浄土宗鎮西派、原西福寺末、文祿三年三月喜林融繁開基。


《交通》
ウツロギ峠

《産業》


《姓氏・人物》


田尻の主な歴史記録



田尻の伝説





田尻の小字一覧

田尻  篠谷 ゴゼガ谷 十予坊 油谷 皷 ロゴゼガ谷 鳥越 引畑ケ 中田 地原 壱水口 ロウツロギ 中林ケ谷 大林ケ谷 ウツロギ 三月田 ヲウズ 小山 舞臺 三ツ谷 山ノ木 三ツ赤田 江尻 坂尻 小屋敷 桃ノ木 マワタリ 上条 大谷 高平 タクラ谷 添谷 突田 宮下 穴谷 堂ノ脇 河口 久保田 西ケ谷 滝ケ谷口 蛭子畑 土器田 滝ケ谷 滝ケ下 ヲゼガ谷 間田 烏帽子岩 大平 岩ケ谷 鳥ケ谷 船ケ谷 山ノ端 道ノ下 大打洞 田尻口 東山 北山 西山

関連情報




資料編のトップへ
丹後の地名へ


資料編の索引

50音順


若狭・越前
    市町別
 
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市

丹後・丹波
 市町別
 
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市



【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2023 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved