丹後の地名 越前版

越前

山泉(やましみず)
福井県敦賀市山泉


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福井県敦賀市山泉

福井県敦賀郡中郷村山泉

山泉の概要




《山泉の概要》
市街地の南方、JR小浜線西敦賀駅や県立敦賀工業高校があるあたり。「敦賀志」には当村について「元亀已前ハ気比宮司東河端氏の堡地なり」とある。
中世の山泉郷は、南北朝期~戦国期に見える郷名。野坂荘のうち。山志水とも書く。嘉慶2年(1388)10月7日の角鹿長円畠地売劵(西福寺文書)に河原田保内中島畠の四至の1つとして「限西山泉古河岸」とある。応永34年(1427)2月22日の青蓮院門跡義円御教書に、「野坂之庄内山泉郷」の知行が「大夫上座房」に命じられている。以後郷内の地を寄進されたり買得した西福寺・善妙寺の文書に散見される。永享2年(1430)5月27日の斯波義淳西福寺寺領安堵状に「〈山志水郷内〉壱段<貞国名内道仙〉」とあるのをはじめ、藤大夫名・源三郎名などの名が知られる。なお野坂荘の領家気比社は戦国期も当郷を領しており、社家東河端氏が地頭として支配していた。大永6年(1526)2月26日の山泉郷諸納所下行分等定に、銭15貫25文、米31石余(口米を含む)のほか、いなはき10枚・薦10枚・干しわらび3連・ひらき大豆3升・馬の草1匹分などの公事を「地頭領家」に納めることになっていた。また「百姓分の者」は地頭のところに正月11日に年始に行って饗応を受け扇を1本ずつ授けられることなど、節句・夫役の際の百姓に対する地頭からの支給内容も詳細に記される。室町期の西福寺への年貢は「疋壇桝」が指定されていたが、戦国期の地頭・領家への年貢は「ミせの升」(売買用の桝)によるとされている。慶長国絵図では堂村580石余の一部。
近世の山泉村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)小浜藩領、寛文8年(16683)からは安房勝山藩と小浜藩の相給。享保12年(1727)の「敦賀郷方覚書」に、小浜藩領分の家数14(高持6・無高8)・人数73(男32・女41)。「雲浜鑑」によれば小浜藩領分の家数13 ・ 人数62。明治4年加知山県・小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」に、戸数57・人口246、牛馬11、荷車12、水車1、産物は莚5,200束(売先は北海道)・菜種6石。同22年中郷村の大字となる。
近代の山泉は、明治22年~現在の大字名。はじめ中郷村、昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西9町・南北4町余、戸数48、人口は男141 ・ 女138。


《山泉の人口・世帯数》 1692・605


《山泉の主な社寺など》

宮山古墳群
当地北側の宮山と呼ばれる独立丘陵上には円墳4基・方墳1基からなる宮山古墳群があり、中期古墳の様相を呈するという。


日吉神社

日吉神社は、大山咋命を祀る。境内神社に愛宕社・八幡社がある。
『敦賀郡神社誌』
村社 日吉神社  敦賀郡中部村山泉字堂ノ前
位置と概況 本區の西南に田畠を隔てゝ黒河川を境として粟野付和久野公文名に隣し、東北は堂、北は笙ノ川を境として古田苅に隣してゐる。交通は西数町にて丹後道に、北数町にて柳ヶ瀬街道に通じ、敦賀町へは一里弱であろ。人家は山手と平坦部の二部落に分わ、平坦部の人家を距ること、北方約二町の田の中に、孤立せる圓塚形の堂山と稱する丘陵がある。周圍四・五町、高さ五・六十尺にて、南方は椎其他の常緑樹が鬱蒼として丘を蔽ひ、麓には鳥居の一角が現はれ、丘腹の樹々の間には、古色蒼然なる萱葺御殿の千木勝男木が隠見して、荘厳なる神社がある。これ即ち當區の氏神日吉神社である。田を横切りて設けられた參道を進めば域内に入る。社域は四段に劃され、第一段は平坦なる齋場にて、鳥居はこゝにあり。それより高さ七尺の石垣を築きて第二段を設け、此處に中門兼拝殿が設置され、これより高さ十尺の直立した石垣を築きて第二段を設けて石燈籠を置き、これより更に高さ七尺の石垣を築き、上段があり齋場より上段に至る石階はすべて三十三級である。本殿は上段の中央に南面して鎮座し給ふ。上段より一望すれば氏子全體の田園注宅悉く目睫の間にありて、日夜に守護します氏神の位置としては、絶好の適地である。更に背後の徑路を攀ぢて丘巓に登り望見すれば、四面展開して、耕田桑野相連り、大小の邑落黄茅鮎々として、近くは野坂山巍然として聳へ、其の山脈左右に蜿蜒起伏して、蠑螺嶽となり、黒河山となり、遠くは敦賀・東郷・中郷・愛發の諸山脈連亙重疊してゐる。又これ等の山嶽より發する諸川流は、合して笙ノ川となり、迂餘帯の如く自を曳きて、烟波渺茫たる敦賀灣に朝宗し、汽笛の音、汽車の響き、射的の聲、殷々耳に入りて、山河自然の形勢、人生交通の繁を高處大所より逹觀するの思あらしめる。此の堂山は日吉神社の繁榮に伴ひ、他日岡山と共に遊園地としで、開放せらるゝのは遠きにあらざるべしと信ずる。
祭神 大山咋命 相殿 應神天皇
由緒 按ずるに、往昔より山王權現とも尊稱したて奉った。由緒は詳でないが、地理的環境より推想するも餘程の古社であることは疑がない。嘉慶二年四月勧請奉遷したと云ふは、恐らく相殿應紳天皇を勘請し奉ったことであらう。明治十一年三月村社に列せられ、大正四年一月十六日神饌幣帛供進の仁社に指定された。
祭日 例祭 五月十日(元舊四月一日) 祈年祭 三月中旬 新嘗祭 十一月二十三日
特殊神事行事と神饌 豊饒祈祷祭(俗に正月八日祭と稱へてゐる)男子十五歳になれば、一月八日鳥帽子着の嘉例が行はれる。この儀を了したるものにて、區内に居住する者には、一人當り十五個の小餅を授與する。小餅は前日即ち一月七日に三斗を搗く、餅の外に大根を六角形に切りたる小片二個、昆布の小切一枚、干柿一個、杉丸箸一膳とを附して與へる。神社へは毎年廻り當番十戸と定め、この當番人等は前記と同一のものを、神前に供へて祈願するのである。
朔日祭 舊暦六月一日氷ノ朔日と稱して、餅二個を炙りて神前に供へ、又氏子全戸へもこれを授與するので氷餅と稱してゐる。この餅は正月に作りた繭玉餅を用ふるのが例である。氷餅と稱するは昔時の氷室獻上から起ったので、これが民間に傳はり行事となつたので、寒中に作りし餅を氷に擬へたのであらう。
二十三夜 舊暦七月二十三日に、當區の全戸主及び青年團が主となる行事であつて二十三夜と稱し、晝は戸主が神社に参拝して神饌を供し、後に境内へ莚を敷き直會をする。その給仕は青年團員が任に當る。青年團の人等は神前・神庭・参道等に多数の神燈を點じ、夜を徹して踊るのであるが、當地方共通のもので、本區獨特の歌も踊もないとのことである。
豊穣報恩祭 俗に霜月祭と稱し十二月一日に行はれる祭で、氏子惣代が羽織袴で神社に參拝し、當番の家では全氏子の戸主が直會をなすのである。その直曾品中で大根膾と鰊の糀漬二本は、今も猶古風の儘に必ず用ひてゐる。これは質素な良習美俗を尊重し、且つ永続を期するためである。
本殿 …
境内社
 愛宕社 祭神 火具土神
神社附近の地名と石塔發見 當社の西方一帯の田を墓の下と稱し、その附近及び境内の某所より近時五輪塔・板碑等所謂眞言墓の破片数個を發見したのを見ると、昔時境内若くは其の附近に密教の寺院の在りしことは疑がない。而して此の丘陵を堂山と稱し、其の直前の耕田を堂ノ前と稱する所より考ふれば、神社は往古よりの鎮守、即ち堂様(氏神各社殿を堂様又は堂と呼ぶ地方の古い稱呼があつたことを窺はれる)であったが、神佛混淆時代に密教の堂守を置き其後時勢亦轉変して兩部神道の衰微に伴ひ、堂守の寺院を廃し、氏神は昔からの純然たる神社として、別に天台宗の一宇を建立せしもの即ち當區現在の寺院ではあるまいか、尚附近一帯の史的考察は後考に委ねる。


浄土宗慶林寺

慶林院の聖観音菩薩立像は鎌倉後期から室町前期にかけての作で市文化財。

浄土宗寿雲庵

『敦賀志志』
山泉 堂の西に在り。西福寺文書嘉慶二年十月の沽却状に山泉、永享二年同寺領目録に山志水郷とあり。 氏神、日吉神社、村社、八幡宮を合祀す。昔時よりの相なり。八幡宮の祭神は佛像なりし爲め、明治維新の際、神社改めありし時、一時壽雲庵に奉祀し、正殿には幤を祀れり。明治二十年、壽雲庵の祠を日吉神社境内に移す。故に今八幡神は正殿及境内社に兩神ある事となれり。慶林院、淨土宗鎭西派、原西福寺末、應永十四年五月良如開基、もと天台宗にして勤休山圓通寺と稱したりと。壽雲庵、同宗同末、應永十四年八月良如創立。 觀音堂。


《交通》
R小浜線西敦賀駅



《産業》


《姓氏・人物》


山泉の主な歴史記録



山泉の伝説





山泉の小字一覧

山泉  岡ノ腰 土山 堂ノ前 墓ノ前 鴻ノ巣 小木ノ田 竹ノ腰 村下 河原 江川 小河田 久保 岸ノ上 イシヲザ田 道ノ上 村西 下河原 西河原 弁屋敷 中道 石田 六反田 橋詰 深田 寺下 寺田 南山田 七反田 神田 廻り戸 払町 日ノ詰 原田 中河原 野畑 井川 五斗田 山道 狐塚 アヲラ 石仏 五反田 砂上げ 山畑 山尻 田頭 穴田 トウケ作 八反田 久保瀬 上河原 井口河原 シヤンコ 井口 釈迦田 畑 岳 山ノ神 山腰 上山田 高良谷口 奥畑 シヤヒ谷 間谷 割谷 中ノ谷 北谷 兀ノ谷 高野谷

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



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