有岡(ありおか)
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京都府綾部市有岡町 京都府何鹿郡吉見村有岡 |
有岡の概要《有岡の概要》 近畿自動車道舞鶴道の綾部インターがある所は当地内で、そこから降りて来た所一帯の集落。中央を府道77(志賀郷綾部本町)線が南北に走り、沿道に集落が立地。 有岡村は、江戸期~明治22年の村。山家藩領。明治4年山家県を経て京都府に所属。同14年地内の樋ノ本に有岡村ほか5か村連合戸長役場が設置され、同17年区町村会法改正により有岡村ほか5か村連合役場となる。同22年吉美村の大字となる。 有岡は、明治22年~昭和28年の大字。はじめ吉美村、昭和25年からは綾部市の大字。明治中期より養蚕業が盛んとなり、特に共同蚕種製造の先進地として「吉美糸又昔」は有名という。昭和28年有岡町となる。 有岡町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。 《有岡の人口・世帯数》 307・119 《主な社寺など》 二宮・八塚・石井根などに後期古墳。 桧山5号墳(前方後円墳・45m・古墳後期) 二宮神社(古僧戸大明神) 舞鶴自動車道の綾部インターから降りてくると左手の山裾に見える神社である。吉見郷一宮が高倉神社で当社は吉見郷二宮。由緒はずいぶん古いようで、「山家藩記」によれば、「…神体木神長六寸 中左五寸 右五寸女体 鰐口銘ニ吉美庄古僧戸大明神 明応八年壬(己)未三月三日」とある。明応8年は1499年である。 「古僧戸」神社というのが本名。コソト・コソドと江戸時代くらいには読んでいたと思われるが、本来はコソベと読むのでなかろうか。 綾部高校の手前に「木曽殿(木祖殿)神社」がある、これは少し奥にある東光院(延町)の記録に「庚戌歳(延徳2年・1490)上志万於古曾戸之宮烟焼」とあって、当社と同名の古曾戸神社であった。あのあたりは岡町というし、有岡とは同族であろうかと思われる。 コソベとは何か。フジコソ神社やコレコソ神社で触れておいたが、下鴨神社の糺森にある名神大社・鴨川合坐小社宅神社、かものかわいにます、おこそべ神社、賀茂:系氏族というよりコソが渡来語なので渡来系氏族と見られているようである。京都なら秦氏であろう、ということのようであるが、もっと古くコソは天日槍系の人々でなかろうか、もっと古くプレ天日槍系か。 大阪府高槻市に古曽部町がある、ここに古曽部遺跡があり墓壙内破砕土器供献が行われていた、出棺直後にお茶碗を割るということがワタシの所などでもおこなうが、割った土器を棺の周辺に撒くという風習であり、丹後但馬丹波あたりが範囲になる弥生後期あたりの弥生墓で見られる、それが摂津の古曽部遺跡でも見られ、何か繋がりが推定される。こちらから行った人達の集落だったのではなかろうか。 ずいぶん古い氏族と見てよく、それが証拠に偉大な先学たちにも何のことやらさっぱりわからない、手ががりにしたい確かな記録は残されていない。
コソベはいろいろ系統があるようで、標記もいろいろ見られる。一概に秦氏系だとは言い切れない、秦氏よりも古いずーと先輩格の古来(ふるき)の渡来氏族の名のように見える。 渡来系は間違いなかろう、有岡のアリもar系の地名と見てよかろう。 コソは神社のことであるというのはその通りだが、新羅の始祖王は、赫居世という、赤い、というか、わかりやすく言えば、ar(光明)コソという。コソは神社の意味というよりは本来は偉いさんに対する尊称、日本語で言えば、古い朝鮮語も同じだが、キミ(君)のような尊称であった。有岡といい、吉見(キミ)といい、コソといい、みなつながる古い古い時代の言葉のように考えられる。しかし確かなことはわからない、何も残されてはいない、文献が残される時代よりももっと古い時代の言葉だから。あとはカンで行くより手もない。 この氏族が当地へもやってきた、強制か自主的な移住かは不明。以上ここで述べたコソベがいる所は、みな金属と関係深そうな地ばかりである。丹後鱒留の藤社(ふじこそ)神社は境内社に天目一箇神を祀る。コソが神社ならば、その神社は天一(天目一箇神)を祀るのではなかろうかと思われる、当地も高倉天一社であり一致はする。天一社のコソ部であったかも知れない。漁の合間に副業として金属採取精錬も行うというのではなく、こちらは本格的な専業のプロ集団、今来ではなく古来の渡来系の産鉄か産銅の技術力のある集団でなかろうかと思われる。 社部という漢字を当て、その漢字意味通りの部と見るのが正解かは不明。山田さんは山のタンボをたがやす農民ばかりでないのと同じで、コソベだからといってその名の通りに神社の部民としてのみ暮らしていたとは考えられない。名は関係がなく、実態をよく見なければなるまい。おそらくは製鉄民ではなかろうか。 曹洞宗琴松山清絃寺
《交通》 《産業》 《姓氏》 有岡の主な歴史記録
伝説有岡の小字一覧有岡町 敷田 橋詰 田部 岩欠 御領 若宮 前田 久後 樋ノ本 高向 川原田 田坂 沖ノ田 志庭垣 岩鼻 友広 荒間 瀬戸 桑原 柳原 才ノ前 長福寺 季ケ坪 遠坂 汗尾 檜山 庄田 堂谷 須佐 破堰 橋詰 東山 岩欠 御領 若宮 黒岩 田坂 志庭垣 岩鼻 友広 荒間 瀬戸 桑原 柳原 才ノ前 季ケ坪 遠坂 汗尾 檜山 庄田 堂谷 須住 破堰 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『何鹿郡誌』 『綾部市史』各巻 その他たくさん |
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