京都府綾部市旭町
京都府何鹿郡山家村鷹栖
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旭町の概要
《旭町の概要》
山家の一番北よりで、京都縦貫道が上を通る。上林川西岸の台地に集落が点在し、下八田町へ通じる西部の谷あいにも山入の集落がある。中丹広域農道が合流する、昔は横峠を下るとこの辺りに出てきた。朝金集落↓
旭町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。もとは綾部市鷹栖の一部。
旭町 鷹栖村より分村裏番区となる。昔裏番所ありと聞く、其の名を付けて裏番としたのでないかと言われている。昭和二十五年町村合併と同時に住民の要望により町名変更「旭町」となる。
(『山家史誌』) |
《旭町の人口・世帯数》 79・34
《旭町の主な社寺など》
神社
〇四級社 熊野神社 祭神伊奘冉尊 旭町西ノ内一番地 境内五五三㎡
熊野権現と称す 祭日旧九月八日 覚応寺が願成寺と云った頃の守護神として熊野杜を祀る。
・境内末社稲荷神社(倉稲魂命) 大原神社 天満神社
・山の神 山仕事の安全を司る神で、ほとんどの町区に祭られている。
・孫嫡子(ままじゃくし)社 耳の神として穴開き石が祀られ、昔は社二尺四面、上家壱間四面と記録あり。
・大神社 田の中にあったのを昭和五十五年に末社として祀る。
○無格社 藤森神社 祭神 武内宿祢 六社権現と称す 旭町朝金空ケ谷 境内九三㎡
○無格杜 熊野神社 祭神 伊奘冉尊 十二社権現と称す 旭町山入大谷 境内九三㎡
末社として、上谷神社、妙見社を祀る
○滝ノ元不動社 不動明王 祭日八月二日 旭町出合ノ尾十一-一
創立年代不明だが、昔四方善広家の先代が、上林川へ魚取りに行った時美しい玉岩を見つけ持帰り築山に置いていた所、不動明王が枕元に立たれ「東向の滝に祀ってほしい」とのお告げがあり現地に祭ったという。昭和六十一年八月二日再建護摩あり。
(『山家史誌』) |
臨済宗妙心寺派塩谷山覚応寺
府道1号線沿いの塩谷のバス停のあたりにある。
石段の上に二王門兼鐘楼の門があるが、二王様がいない。案内板がある。
覚応寺 綾部市旭町寺ノ前
塩谷山覚応寺は南雄周最を開山とし、山家藩主の谷衛政を開基とする臨済宗妙心寺派に属する寺院である。もと、天禄三年空也上人の開基と伝え願成寺と称していたが、寛永年間に谷氏の菩提寺となの、末寺十七を有する中本寺として往時は栄えた。
山門に安置されていた鎌倉時代の仁王像葉は現在京都国立博物館において保存されている。
綾部市観光協会
塩谷山覚応寺 禅宗京妙心寺末 山家
地頭菩握寺三十石寄附ト云 末山十ケ寺アリ
当寺 昔 平姓小松氏草創ノ地 願成寺ト云天台宗伽改号シ覚応寺為 禅宗妙心寺末 昔ノ開基空也上人也 当山開山南雄和尚ト云 今ニ末寺ノ内真言宗ト云伝フ
本尊 釈迦如来 脇立アリ 作仏多シ 旧地今田荘字ニ塔屋敷風呂ノ下奥ノ坊堂山中ノ坊西ノ内鎮守熊野権現堂アリ 岡坂ノ坊白山等ノ地名有 其外不知 俗ニ明智大破ト云云
(『丹波志』) |
塩谷山覚応寺 臨済宗妙心寺流 旭町寺ノ前一 此除地四、〇三三㎡
本尊 釈迦如来 両脇立迦葉尊者と阿難尊者、阿弥陀如来立像、維磨居士、地蔵菩薩
天禄三年(九七二)空也上人の開基で台家念仏宗であったが、小松内府平重盛の祈願所で塩谷山願成寺といい堂宇楼門十二坊院があった。明光院と号する一小庵を残すだけになり、住僧もなく廃寺同然となったが、萬治三年第二代藩主衛政公が有司佐原親直に命じ、下八田町梅巌寺に立ち寄っていた南雄禅師を境まで迎えさせた。又家臣別所友貞に命じ、谷家菩提所妙音寺(安国寺末で今の照福寺のある所)を廃し、更に谷家先祖累代の菩提寺として願成寺の小さいお堂を改修し、塩谷山覚応寺と命名し、南雄禅師を開山とし、衛政公を開基として寛文二年(一六六二)創立した。天和三年(一六八三)十一月二日若狭国小浜常光寺の本尊であった三体が寄付されたもので鎌倉時代の作である。貞享三年(一六八六)三月三代藩主衛広公の帰依篤く当寺二世禅嶺師たくさんのお堂造営し寺観を整えた。「方丈表九間裡六間但し九尺間、庫裡八間に四間、廊下長さ四間横二間、阿弥陀堂三間四面、仁王門表三間裏二門仁王尊両立し鐘楼一間小間中四方、鎮守熊野権現麻姑釈子文化五年(一八〇八)の「木下文書 菅沼矩通記録」にはこう書かれ檀家数五九戸となっている。明治三十五年第十三世住職小林宗輔師妙心寺管長となる。昭和十年五月本堂総互葺きに改築した。
(『山家史誌』) |
△阿弥陀堂は慶長九年(一六〇四)三月建設され、貞享三年(一六八六)三月改築、明治三十年秋大改修を行った。阿弥陀如来(八尺立像)は願成寺の本尊で安阿弥の作といわれている。しかし其の後堂の守りが難しく福知山石原興の人日本茶道会の田中仙華氏に買われ、現在は汽車からも見える青い屋根の「法輪殿」として大切に保存されている。仁王門は、軍永十四年(一六三七)春創立され、廷宝元年(一六七三)五月衛広公が、願成寺寺院の遺木を集め、本堂を一〇〇mはなれた所に建設される。明治二十一年府道小浜線の工事の時現在地に移転し瓦葺きにした。両立の仁王金剛力士像は願成寺の遺物で運慶の作と伝えられているが、昭和四十四年危うく海外流出となる所、京都博物館に買い上げられ保存陳列されている。
第十五世竹貫可瑞師昭和五年入山、昭和六十一年入寂してより無住、現在照福寺の構えとなっている。
(『山家史誌』) |
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《産業》
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旭町
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