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丹波の

本町(ほんまち)
京都府綾部市本町1~8丁目


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京都府綾部市本町

京都府何鹿郡本宮町・綾部町

本町の概要




《本町の概要》

本町通り街道に沿った東西に長い町で、今となれば「なつかしい」古い(明治~昭和戦前あたり)商店街の町並みの景観が残る、東端の山陰本線との踏切から、府道福知山綾部線(8号)交差点まで。
本町通りの一部、本町3丁目~6丁目間は府道中山綾部線(709号)である。
確か以前はもっと狭く西向き一方通行だったが、今は両側に通れる、すれ違いはキツイ箇所多い。
本町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。1~8丁目がある。もとは綾部市大字本宮町・綾部町の各一部。



《本町の人口・世帯数》 


《主な社寺など》


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


本町の主な歴史記録


本町・上町・並松界隈
明治末期になると、綾部の繋華の中心が、本町通りの西、西町筋に移っていったと思われる。今の京都銀行の角の丁字路は、直角の曲りになっていたことは前項で、のべたが、本通りを西に直線に貫いた新道路を作ることについては、その要望が高まっていた。明治四十五年(一九一二)二月四日の何鹿郡会に、この道路変更に関する議が提案せられ、郡会の決議として府知事に建議している。『本郷街道筋綾部町地区内路線変更に関する建議』の一節に「近時、社会の進歩と共に交通機関の完備に伴い、貨物の運搬と交通の頻繁は到底昔日の比にあらず、殊に先年電信柱建設のため幅員を狭め、今又近き将来に於て電燈柱の建設を見んとし、いよいよ以て著しく狭隘を感ぜんとす、茲に於て本町筋及広小路に於ける直角の屈折は最も交通の不便たるのみならずまた大いに危険の場所たるものなり」とのべ「府費支弁を以て速に直線路に改修されるよう」上申している。しかし、この本町通りが西に直通したのはずっと後のことである。
大正十二、三年頃(一九二三)にこの東西の直線道路の改修を主目的に、綾部町大字綾部町外三ヵ大字耕地整理組合が結成され、土地整理に着工して、昭和四年(一九二九)四月八日に完成している。この耕地整理組合の組合長は、当時の町助役であった林田重光氏で、この時の決算報告書をみると、当時との事業に三万八千三百五十七円九十三銭の費用を要している。いわゆる新開地といわれる本町四、五、六、七、八の区画や、中の町、新広小路の道路は、この時整ったものである。
明治十二年(一八七九)頃作成の字割図によると、西本町通りは、北側に羽室九左衛門邸から東に十一軒の民家が軒を並べている。西本町と東本町との境界に北にはいる小屋があった。南側には田町の筋まで四軒、それから東に十四軒の屋並みがつづいて東本町に接している。東本町は北に十五軒の民家がならぴ、南側は横町の小路から西に十一軒、それから東に九軒の家並みで、今の地方事務所の通りはない。東本町の北側今の山本下駄屋の位置に小さい用水池が道路に接してあった。この池のほとりにお里地蔵と呼ぶ地蔵がまつられていて夏祭りにはにぎやかだった。今の若松町付近の字山塚、庵ノ上付近は一帯の畑地で、点々と農家があっただけである。上町は、福知山街道の本町通りは、東本町境につづいて今の上町の四辻まで南側は七軒、北側に十軒。この四辻の南側東角が山惣こと山崎屋大槻惣左衛門の広い屋敷で、ここから東へ、南側に八軒、北側に十一軒の民家が軒をならべていた。
明治初年の、並松、上町界隈の様子は、明治十二年(一八七九)頃の作成と思われる『丹波国何鹿郡本宮村標木地位道路里程図』を見ると、その頃、県道三等といっていた主要路線は、並松一の字寺下、すなわち正暦寺下の由良川べりを通っている。並松の民家は、田野川を渡るカサネノ橋の上手、山手側の寺下に若干あって道路は川ぶちを通っている。この道路は今の並松製材所の曲りの位置で三叉路になり、一方は熊野神社前を上町、東本町に通じ、他方は熊野神社の東側を通り、井堰の流れを渡って、土手のずっと下手、今、竹薮の茂っている位置、三叉路から四町程の所に板橋がかかっていて、由良川を味方側に渡っていた。古くこの渡場の左岸の地名も船場、対岸を船の上と呼んでいる。板橋のかかっていたのもこの辺であろう。この外、由良川を味方に渡るにはいわゆる正暦寺の渡しというのが、通称カネフキと呼ばれる今の質山道の踏切の所から、笠原さんの所に渡っていた。この渡場界隈にも若干の民家が軒を並べていた。ここにも大水の時はよく流された巾の狭い板橋がかかっていて、この橋を渡るには渡し舟同様渡し賃をとったものらしい。
明治十二年(一八九七)九月三日の郡役所日記に「九月三日、味方村掛渡貸銭取場設置出願に付沢田実地見分す」とあるのはこの橋のことかと思う。
前記本宮村全図に、県道三等道路の並松三叉路から西に一町九間の位置に里程横が立っていた。今の鉄道踏切の位置と思われる。この里程標から「至本宮町郵便局四拾八間五、至同通運会社壱町拾八間」と記している。通運会社は上町の東本町境付近にあったらしく、郵便局は、ぼくのいわゆるホタハウスの位置を指すものである。
明治三十六年(一九〇三)の広告に見える東西本町、上町、並松付近の著名商店の名をあげてみる。西本町では諸紙文具店たけや荻野商店、反物小袖四方屋商舗、時計商上柿久吉、みの屋旅館、出口清左衛門、萩野反物店、製糸綿類藤山幸之助、醤油塩荒物煙草伊藤宗一郎商店、荒物ろうそく吉田勇助商店、仕立物福井舗、薬専業山口捨吉、羽室荘治。東本町では、菓子松風まんじゅう浜崎長寿堂、畳商西村八之助、御菓子八千代まんじゅう山口正栄堂、印章栗林精文堂、大弓和洋ランプ石油志賀広右衛門、和洋小間物表具一切文栄堂、田口久間次、醤油味噌油製造販売大槻重兵衛。上町では、学校用品洋服ランプ帽子四方正信堂、トンビマントメリヤス仕立物塩見裁縫店、各国陶器出口亀蔵、種物茶かし本四方熊十郎、刻煙草製造丸庄支店、魚干物酒炭大島竹治、呉服反物出口常次郎、呉服太物袋物石油四方商店、質商吉田鹿次郎、履物おろし小売寺小四方春助、御菓子まんじゅう滝口三楓堂、染物悉皆梅原徳蔵などの名が見られる。この頃警察署は上町一本木にあった。横町には歯科専門加谷治療所。明治三十六年(一九〇三)十二月三日に横町の今の松本湯の所に、浴場としての形式のととのった銭湯が出来て、湯の名を「梅の湯」といって人気を呼んだ。下って明治三十七年(一九〇四)、三十九年(一九〇六)頃の商店広告には、以上の各商店名の外、西本町に、英松石油万小間物嫁入道具安達商店、繰錦木綿米穀商近江屋四方儀兵衛。東本町に吉田運送店、味噌醤油肥料あふぎや、学校生社服シャツズボンなかや四方裁縫店。上町では、ふしみや吉田呉服店、一本木に自転車醤油元朝子兵作永井商店などの名が見える。明治四十四年(一九一二)発行の広告には、西本町では「撞球家諸兄の御来遊を乞う」という玉突場の三八倶楽部をはじめ、砂糖菓子羊羹粟饅頭の田口菓子店、諸紙文房具の荻野澄敏、呉服洋反物四方屋商店、上柿時計店、寺小履物店、伊藤宗一郎商店、亀嘉旅館、山口薬店、亀甲屋事甲綾館、美濃屋旅館、荻野呉服店。東本町では山口正栄堂、装束調進の塩見瞭吉、醤油味噌製造の大槻五郎、志賀平三郎ランプ店、養鶏村上房之助、岩崎砿油商店、丸岡眼科医。上町では、出口印刷所、山口古着店、生糸問屋由良源太郎、京屋陶器店、四方種子物かし本店、快仁堂遠阪薬局、ほていや出口呉服店。横町では加谷治療所、全科医吉川五六、大槻菓子製造所。並松には、木材店の広告ばかりで、とらや森田木材店、山下材木店、石田鶴吉木材商、木材合名会社などの名が見える。並松遊船場として綾部の各料亭旅館、花月旅館、亀嘉旅館、甲綾館、天治旅館、てっぽうや、金波棲、美濃屋旅館、昌盛楼、杉山亭など連名で、鮎狩遊船案内をかかげ、「綾部並松河畔の絶勝なるは敢えて贄せず又此付近所獲の餌魚は和知川太郎と称し所謂丹波鮎の本場に御座候左記各店にては遊船数艘を備え毎年六月一日川開きを為し何時にても鮎漁の御案内並御料理の調進可仕何卒御来遊の程奉希上候」と宣伝している。
並松にはじめて橋らしい橋がかかったのは明治二十七、八年(一八九四)頃で府営で工事が進められ、織部膳蔵という監督がこの工事を受持っていたということである。この橋は明治二十九年の大水に一たまりもなく流された。この橋の位置は現在のやや下手であった。二番目の橋は明治三十一年(一八九八)五月二十一日に竣工渡初式を挙行しているが、翌三十二年(一八九九)の大水に大損傷し修理を加えた。ところがこの橋も明治四十年(一九〇七)の大水害に流失した。第三代目というべき橋は明治四十三年(一九〇九)早々から工事を急いでいたが、天候不良その他の原因で遅延し、同年六月十八日完成竣工式を挙行した。この橋は木鉄混合湾形鉄橋十連で、総延百二十間、工費一万六千余円である。この日渡初めをした老婦は、
綾部町字本宮梅垣虎之助氏老父母 …
綾部町字味方西村右衛門氏老父母 …
の二組の夫婦であった。今の綾部大橋が架かるまで、この橋が綾部の交通の重要な役割りを担っていたわけである。今の大橋は昭和四年(一九二九)六月竣工している。
(『丹波の話』)


『目で見る福知山・綾部の100年』

本町通り(綾部市・昭和3年) モダンなスズラン灯が並ぶ、活気ある通りの様子。その家々は現在も所々で見ることができる。


伝説






本町の小字一覧




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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『何鹿郡誌』
『綾部市史』各巻
その他たくさん



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