井根(いね)
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京都府綾部市井根町 京都府何鹿郡口上林村井根 |
井根の概要《井根の概要》 井根川の流域の集落。府道1号線(若狭街道)からの入口に「日圓寺」の案内板がある。 四方を山に囲まれた狭く嶮しい谷間の中央を上林川の支流井根川が南流し、沿岸に集落がある。 中世は上林庄の地。元禄13年(1700)丹波国郷帳は「伊根村」と記す。井根村は、江戸期~明治7年の村。はじめ旗本藤懸永勝氏知行地、のち旗本城下藤懸氏知行地、元禄2年からは旗本小山藤懸氏知行地。鎮守は谷を出た所に河牟奈備神社、寺院は真言宗中照山日円寺。 明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て京都府に所属。同7年十根村の一部となる。 井根町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。もとは綾部市十根の一部。旧井根村の地域。 《井根の人口・世帯数》 60・30 《井根の主な社寺など》 高野山真言宗中照山日円寺 井根のドン奥の少し高い場所にある。上の地図の☑がついたあたりである。車で入れる。正面に本堂、右は十一面観音堂。 こうした山の奥にあるのは修験道と関係があろう、とされるが、それはそうだろうが、修験道は単に精神上の行者というだけでなく、また鉱山と関係が深かろうと思われる。耕地がない場所でイネとかイヌとかあればやはり鉱山地ではなかろうか。 案内板がある。 中照山 日円寺 縁起 本尊 聖観音菩薩 高野山真言省の古刹で高野山宝城院の末寺。寺伝によると、聖武天皇の天平十九年(七四七)、蓮ケ峰の山容に魅せられた行基菩薩が開創。頭巾山、君尾山、弥仙山等とともに修験道の一連の行場として開かれたとみられる。 延喜二十二年(九二二)空也上人が再建。当時、七堂に一門十九坊の伽藍を誇ったが、天正年間、兵火に見舞われ堂坊一切を焼失。二百四十二坪の境内地を含む寺領悉く織田信長公に没収された。現在、寺ノ段、仁王堂、湯屋尻など名残を止める地名や、裏山の掘割、石像群をはじめ焼け跡からの出土品、夥しい数の一字一石経などに往時の栄華を偲ぶことができる。 丹波国及び何鹿郡三十三ヵ所の札所となっており、観音霊場巡拝客の信仰を集めている。 日円寺
《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 井根の主な歴史記録
井根の伝説井根の小字一覧井根町 奥原 西ノ谷 寺ノ段 日尾 大谷 桜峠 竹ノ下 辻堂 平野 コモ谷 大田 中筋 天ノ上 平垣 中ノ段 下ノ段 南ノ前 清水尻 中ノ本 菱田 井根ケ角 西大末 コマチ 段山 奥山 汗瘡川 西山 山生谷 推ケ谷 コモ谷 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『何鹿郡誌』 『綾部市史』各巻 その他たくさん |
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