旧・口上林村(くちかんばやし)
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京都府綾部市十倉名畑町・十倉中町・十倉志茂町・十倉向町・井根町・武吉町・佃町・忠町 京都府何鹿郡口上林村 |
旧・口上林村の概要《旧・口上林村の概要》 口上林村は、明治22年~昭和25年の何鹿郡の自治体。建田村・十根村が合併して成立し、旧村名を継承した2大字を編成した。村役場は大字十根の十倉名畑に設置した。 明治40年輯寧校・明誠校が合併して、高等科を併置して口上林尋常高等小学校が開校。大正14年の同校の学級数8・児童数283。昭和25年綾部市の一部となる。村制時の2大字は綾部市の大字に継承された。 今でもクチカンと呼び、自治会連合会の名などが遺称である。 十倉(とくら)村は、江戸期~明治7年の村。丹波国何鹿郡上林郷のうち。上林川下流域の河岸段丘に位置する。枝郷に境村がある。戦国期には波多野氏傘下渡辺九郎左衛門の知行地、のち山家藩領を経て、寛永5年からは旗本十倉谷氏知行地。谷氏は当村中筋最寄に衣陣屋を設置し、はじめ道家氏に、のち岩本氏とともに代官を世襲させた。明治元年久美浜 県、同4年豊岡県を経て京都府に所属。明治7年十根村の一部となった。 十根(とね)村は、明治7~22年の何鹿郡の村。十倉村・井根村が合併して成立。同22年口上林村の大字となる。 十根は、明治22年~昭和28年の大字名。はじめ口上林村、昭和25年からは綾部市の大字。同28年井根町・十倉志茂町・十倉中町・十倉名畑町・十倉向町となる。 建田(たつた)村は、明治7~22年の何鹿郡の村。忠・佃・武吉の3か村が合併して成立。村名は合併各村の頭音を合成したもの。明治22年口上林村の大字となる。 建田は、明治22年~昭和28年の大字名。はじめ口上林村、昭和25年からは綾部市の大字。同28年綾部市忠町・佃町・武吉町となる。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 旧・口上林村の主な歴史記録旧・口上林村の伝説関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『何鹿郡誌』 『綾部市史』各巻 その他たくさん |
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