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丹波の

西原(にしばら)
京都府綾部市西原町


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京都府綾部市西原町

京都府何鹿郡山家村西原

西原の概要




《西原の概要》
由良川北岸の河岸段丘上に位置する。味方を過ぎて少し山家側へ行った所。由良川はずいぶんと下を流れている。
対岸の上原・下原・和木と併せ、寛正2年(1461)の何鹿郡所領注文(安国寺文書)の「原村」にあたると思われる。応永10年(1403)の上杉憲実丹波知行分重書案(上杉家文書)には「丹波国漢部郷除原村」とみえる。また「蔭涼軒日録」寛正四年一二月二五日条には「彼院領丹波国原村上杉中務方不出帯支証之上者可被仰付之由以訴状被申之」とあり、翌五、六年にも関連記事がみえる。文正元年(1466)4月16日条には「勝知院領原村之事以状申之、上杉当知行理連之由被仰出、仍勝智院閣之」とあって上杉氏の支配下にあったことがうかがえる。天正5年(1577)の西原分田畠坪付(西村家文書)には「西原」とあり、原村が細分化されたものであろう。近世には山家村の技村となった。
西原村は、江戸期~明治22年の村名。はじめ山家村の枝郷、のち分村独立した。山家藩領。明治4年山家県を経て京都府に所属。明治22年山家村の大字となる。
西原は、明治22年~昭和28年の大字。はじめ山家村、昭和25年からは綾部市の大字。同28年西原町となる。
西原町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。


《西原の人口・世帯数》 181・76


《主な社寺など》

鉾岩
ホコ岩    西原村 野田村トノ間 大川ニ
上ハホコ岩ト云 古金+午流来テ止ルト云 大滝大岩一ツ石二ツ石三ツ石 セ戸門戸是見ハ深キ渕ナリト云
(『丹波志』)

ほこ岩伝説
和木大橋から由良川の上流を眺めると川の中流に大きな岩が立っている、これをほこ岩と呼ぶ、丹波誌に「西原村、野田村トノ間大川ニ、上ハホコ若ト云 古鉾流来テ止ルト云」の記述があり、大正十五年卯月二十一日熊野神社奉遷記録に、「熊野神社ハ元大塚大明神ト号シ奉ル 往昔仲ノ下(小字名)ニ鉾流レ来リテカカリシヲ崇メシ由言伝ハ今ニ其岩ヲ鉾岩ト言ウ」とも記されている。
(『山家史誌』)


西原遺跡
『綾部市史』(図も)
西原町出土の石器
昭和四十六年に採集されたものである。採集地点は、西原町熊野神社の北側の水田と神社境内との境を流れる小溝の中であった。付近は北側の山地から南へのびる山麓の傾斜変換線にあたり、南側はなだらかな台地となり、由良川へとつづいている。
遺物は、直径約八センチメートル、厚さ約五センチメートルの亀甲状を呈しており、周辺から中心方向に向かう粗い剥離が加えられている。また、周辺の一部分には敲打痕が認められ、この石器を手に持って叩いたとも考えられる。以上の観察の結果、円盤状に形成したことによって出来上った鋭利な周辺部を使用する石器ではないかと考えられる。石質は暗灰色を呈する緻密なサヌカイトである。


古墳
申酉古墳

札の前古墳↓(背後の地あたりを「十ノ塚」というから、もっとあったのかも知れない)

大塚古墳??

これは横穴式石室か、それとも自然のものか。
近所の人に聞くと「古墳があるというんですが、そんなもんはありまへんで。誰か石を持って帰ったようで、エエモンはすぐ持って帰りよるんですわ」ということであった。
西原古蹟 山家地区で古墳と名付けられているのは西原だけで「十の塚」「菱子」「塚穴」「大塚」と小字名も珍らしく由緒ありげな名が多い。近頃中世窯跡も発見され、これらを探訪もまた楽しみである。
(『山家史誌』)


西原窯趾
西原窯趾 昭和五十年一月、西原町釈丈ケ岳の道路傍で窯趾が発見され、瓦片・須恵器片が採取された。この窯は半地下式の登り窯であって、須恵器と瓦を焼いており、遺物の年代は大ざっぱにいえば、奈良時代末ごろから平安時代中ごろまでの範囲に含まれる。この窯で焼いた瓦がどこで使用されていたかについては検討を要するが、綾中廃寺が仮りに平安時代まで法灯を保っていたとすれば、ここの瓦を使用した可能性も否定できないこととなる。
何鹿郡には貞観五年(八六三)に仏南寺の名もあり、仏南寺が平安時代に瓦を葺いた建物であったとすれば、ここに使用された可能性もあり、また味方町の井上寺という地名のところに古寺があったとすれば、ここにも使用の可能性はある。今後の研究に待つところである。
(『綾部市史』)


国道27号沿いの旧パチンコ店の前から西原へ入ると、こんな所ヘ出てくる。左手の旧道へ入ったあたりという。


正光(しょうこう)神社(山王権現)


山王権現      西原村 産神
祭ル神    祭礼 九月三日
舞堂 鳥居 森凡二十間四方
(『丹波志』)

正光(ショウコウ)神社 四級社 祭神大山紙命(大山咋神) 西原町上地     境内一、三三三㎡
祭日旧九月三日 近江図日吉神社は、伝教大師が大和国三宝山の大神神社(大三輪神社)祭神大物主神を勧請し、神号を山王と奉り、比叡山の守護神として祀る。この分身を勧請し山王権現と呼んでいる。文明八年(一四七六)三月十六日大檀那道観再建した。文化九年(一八一二)二月正光山王権現に昇格し、舞堂鳥居を備えた宮居となる。
境内社 八坂神社(素盞嗚尊) 猿田彦神社(猿田彦命) 八幡宮(応神天皇)天満宮(菅原道真) 稲荷神社(倉稲魂命)
(『山家史誌』)


熊野神社(大塚大明神・大塚宮)

熊野神社 祭神熊野櫞樟日命  西原町(大塚)岡
往古、由良川仲ノ下に鉾流れ来り岩にかかり止る。今に鉾岩と名伝へ残る。村民崇め奉り大塚に祀ると言われているがはっきりしない。元は大塚大明神といい、明和三年(一七六六)神子屋建替え、寛政二年(一七九〇)神殿建替し、明治初年に熊野神社というようになった。大正十五年旧宮地大塚山に奉遷する事に決し、仝年七月二十一日地鎮祭執行、八月六日奉遷、十二月十日奉遷事務一切完了した。
(『山家史誌』)


社殿の背後に大岩がある。古くからこの磐座の前で祭祀が執り行われていたものと思われる。写真で言えば右手に石室古墳のようなものがあり、背後は低くタンボが続いていて、そこからは旧石器が出土している。

その他神社
『山家史誌』
○愛宕神社 祭神雷神    西原町愛宕山
京都愛宕神社に勧請して分身を祀る。創立年代不明であるが西原の守護・防火を祈って勧請するものである。昭和六十年四月七日仝所に西村順一昭和六十年四月七日に再建した。
○秋葉神社 祭神火彦霊命 西原町釈丈嶽  小祠が残っているだけ。
○不動尊 祭神不動明王
○道明不動社 祭神赤不動尊  西原町平井
いつの頃からか一尺四方の祠があり、その中に丸い炎の模様のある赤石が祀られていた。大本教の開祖出口なを刀自が見つけ御幣を立て「お不動さん」といって祭った。早速其の下の住人野崎八十吉外有志に集り社を建立す。大正八年十月西村宗次郎、野崎八十吉、梅原熊治郎、梅原宗太郎、上谷四方熊蔵、四方敬蔵の尽力で銅板葺の社が建立され滝も作られた。大本教主出口王仁三郎より「道明神社Iの称名を戴き祀る。終戦後一夜にして銅板が盗まれ、加えて国道二十七号工事で人夫の休憩所となり空屋同然となったのを田野町不動の瀧に移転されたのが昭和二十四年頃。其の後附近の国道での交通事故死者十一人にもなった。そこで神罰を畏み有志相傍り田野行者米田氏の仲介で不動明王を祀り交通安全塔も建立し現在に至る。



毎国庵 毎国寺廃寺
正光神社の西隣に毎国庵があるという。
庵寺          西原村
尾也摩山毎国寺古跡 山家覚応寺末 天正ノ乱ニ大破スト 別ニ薬師堂在
(『丹波志』)

尾也摩山 毎国寺 覚応寺末
天正の乱の時西原が戦火に見舞われて大破した。再建して毎国庵といっている。
昭和六十一年二月老朽甚しく、取り壊したところ、梁に次の記載があった。
 寛政年中亥年春讃州高松領鷲峰寺弟子普門院泰雄ト申僧庵住職仕リ夫ヨリ繁栄シテ文化五辰ノ暮春此ノ堂建築致シタル者也
右領主普門院泰雄大徳同味方村住人弥平ト申ス仁日本建国之彼此ノ堂建立奇篤志有テ此度大砲主ニ成者也
示時文化五辰立夏   吉祥日
 大願主 普門院泰雄 日本建国 弥平 大工 庄林嘉四郎 庄屋 仙右ヱ門 年寄 直助
 世話人 武右ヱ門 勘兵衛 幸右ヱ門 林兵衛
     総村中
(『山家史誌』)



正光神社の向かいに小さなホコラ?のようなものがある。これが毎国庵址かも。中央の道は錫杖岳の登山道。ずっと行けば雪折窯趾があるという。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


西原の主な歴史記録




伝説


『山家史誌』(イラストも)
大下はんの足跡
西原町小林六番地の屋敷内の岩に足跡の形をした凹がある。昔大下弥五郎という豪傑がおり、その足跡であるという。奇妙なことにそれは右足のみであり、残りの部分は三田平(さんだべー)(西八田地区)と大原(三和町)にあるという(梅原保志が祖母から聞いた話)、磯貝勇の「丹波の話」の中にも「和知の大男」として上粟野の巨人伝説が記載されており、また大江山の鬼茶屋の裏山にある「頼光の足跡」伝説は有名である。加藤宗一の「何鹿の伝承」には「岡の大女戻」として「四尾山」と位田の「高城山」を棒でかつごうとして、棒が折れたという女傑の物語も記されている。






西原の小字一覧


西原町
勝負換 籠原 谷口 土師ノ木 札ノ前 懸石 中地 上地 小屋ケ谷 鷲谷 鷲谷口 鷲垣 菱子 堀谷 岩西谷 西野々 東平林 西平林 塚穴 南谷 堂ノ奥 猪ノ奥屋敷 滝尻 藤ノ木 堂ノ上 神子迫 籠子石 猪ノ坂 猪ノ尻 地主 岡 小林 弥九郎勝 中ケ沢 平井 釈丈ケ嶽 雪折 茶屋ケ追 仲ノ下 大畑 藤木戸谷 滝ノ奥 鞍骨 赤芋 小屋谷 大スヘ 大丸 申酉 十ノ塚 弓矢 荒田 宮ノ谷 南中山 北中山


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『何鹿郡誌』
『綾部市史』各巻
その他たくさん



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