丹後の地名プラス

丹波の

野田(のだ)
京都府綾部市野田町


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


京都府綾部市野田町

京都府何鹿郡綾部町野田

野田の概要




《野田の概要》
由良川左岸(南岸)の国道173号の由良川にかかる新綾部大橋あたりから上流側の河岸台地上の村。旧綾部村の一番上流になる。川沿いにJR山陰本線や府道広野綾部線(450号)が走る。

野田村は、江戸期~明治22年の村。はじめ綾部村の枝村、のち分村独立。綾部藩領。綾部組12村の1村。
明治4年綾部県を経て京都府に所属。同22年綾部町の大字となる。
野田は、明治22年~昭和28年の大字名。はじめ綾部町、昭和25年からは綾部市の大字。同28年野田町となる。
野田町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。


《野田の人口・世帯数》 111・44


《主な社寺など》

野田古墳
野田には古は十基程の古墳があったが、今では二基だけ残っている。その一つが朝子三郎氏宅の裏にある古墳で、巨石を以て組んだ石槨を有する横穴式である。既に安政二年に発掘して、金環、銀環、曲玉 刀身、剣鞘、祝部土器などが保存されている。
(『綾部町誌』)

大山祇神社

大山祇神社(野田)
祭神 大山祇命、木花咲耶姫命、岩長姫命の三神昔から女子は妊娠すると、新しい腹帯を持って安産を祈る為参拝するものが多かった。
藩政時代には氏神は上之山神、下之山神の二社となっているが、恐らくこの山神が大山祇神社の前身と思はれる。
境内に大川神社があるが、明治二十年代に流行病が浸延した時勧請したものである。
(『綾部町誌』)

秋葉神社

井根山公園登り口↑
秋葉神社
井根山の頂上にある。元は白ケ城の頂上にあったが、明治年間に今の地に下しにものである。
井根山は大師山とも呼ばれ八十八ヶ所の霊場になぞらへ巡拝地となっている。
(『綾部町誌』)


梅原弾正忠の白ケ(白髪)城跡
村の南の白ケ城(しらがじょう)山には「往古梅原刑部太夫より五代目弾正忠居ス」(田畑反別石高其他)という城跡があったと伝え、山頂に数段の削平地と堀切があるという。その西方の井根山にも同様の城跡があって一連の山城であったと推定されている。
同氏の嫡子は関ヶ原の戦で西軍にくみしたが敗戦により新宮村下市場に移ったと伝えている。この場所は九鬼氏が最初に陣屋を置いた所と見られていて、今の綾高東分校あたりの地と見られている。
白ケ城山
野田にあって戦国時代梅原弾正忠が立籠っていに城山として有名である。昔或る豪族に攻められて籠城したところ、水の手を断たれたので敵はもう陥落するであろうと思っていたが、或る日山上で水を使って盛に馬を洗っている光景を望んで、遂に攻略をあきらめて引あげに。これは城主の奇智で、白米で馬の背を洗って水に見せたのであつたと云う伝説がある。
(『綾部町誌』)

白髪城跡


妙見堂
顕本法華宗妙見堂は旧国道173号線、須知山道のかたわらにあり、旅の安全を祈って安永3年に創建されたものという。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


野田の主な歴史記録




伝説





野田の小字一覧


野田町 広田谷 広田 番上目 寄合田 仲後 西谷 須知山 井根山 白髪城 東尾 上赤谷 下赤谷 西谷

関連情報





資料編のトップへ
丹後の地名へ



資料編の索引

50音順

丹後・丹波
市町別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市

若狭・越前
市町別
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市







【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『何鹿郡誌』
『綾部市史』各巻
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2017 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved