小貝(おがい)
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京都府綾部市小貝町 京都府何鹿郡佐賀村小貝 |
小貝の概要《小貝の概要》 私市円山古墳の東側の由良川に近い集落。小貝・湯殿の2集落からなる。犀川の合流点であるため、水害を受けやすい。府道舞鶴綾部福知山線(74号)が東西に走り、府道小貝豊里線(488号)が北に分岐する。小貝橋の袂である。 小貝村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。栗村組9村の1つ。明治4年綾部県を経て京都府に所属。同22年佐賀村の大字となる。 小貝は、明治22年~昭和31年の大字名。はじめ佐賀村、昭和31年からは綾部市の大字。同32年1月1日小貝町となる。 小貝町は、昭和32年~現在の綾部市の町名。 《小貝の人口・世帯数》 83・49 《主な社寺など》 小貝遺跡
八坂神社
小貝北向地蔵尊 小貝橋の袂にある。案内板がある。 小貝北向地蔵尊の由来について そもそも地蔵信仰は平安中期公家貴族の間にはじまり一般庶民の間に広がっていきました。当地地蔵尊は延宝元年二月貞享四年宝永四年等相続く大水害度重なる飢饉疫病を経験した村人が相計り享保十一年これらの苦難からのがれるため由良川と小貝山の岼の狭間交通難所に施主は小貝中蓮華台座像として建立しました。其の後享保四年仝二十年(卯年)寛延元年仝二年天明九年寛政文政嘉永明治に二回昭和数回の水害の度に流失埋没掘り出し等、お首のつぎ替三回明治二十九年は胴体が湯殿まで流れていられた。昭和二十八水後お首は現れず新しきお顔と胴体に鉄の棒をうえこんで修復しました。地蔵様の歴史は小貝水害の歴史でもあります、災害の度に村人の信仰は高まり現在は遠く府外からも大数のお参りがあります。 人間界一〇八苦大難を小難を無難にとお導き下さる有難いお地蔵様です。 道行く人々も常に現在科学医学と相まって、地蔵様信仰のお利益に浴されますようおすすめして由来といたします。合掌。 昭和六十二年春 小貝区 福寿会
《交通》 《産業》 《姓氏》 小貝の主な歴史記録伝説
小貝の小字一覧小貝町 坊ノ口 榎ノ木 岼 岼上通 西田 野代 桜木 大川原 中川原 西山 樋ノ口 新八 岼山 奥山 所堺 中通 丹後ガチ 岼山 奥山 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『何鹿郡誌』 『綾部市史』各巻 その他たくさん |
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