忠(ただ)
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
京都府綾部市忠町 京都府何鹿郡口上林村忠 |
忠の概要《忠の概要》 上林川がここへきて中山にぶつかり南に(左岸側へ)大きく湾曲して西流する。その両岸の山すそに集落が立地するが、洪水に悩まされてきたという。多田とも書かかれる、鎮守は河牟奈備神社で、その鳥居下の参道を入る。 多田と、南北朝期から見える地名。丹波国何鹿郡上林荘のうち。谷忠番ともいう。至徳元年11月3日の大政官牒および同月日の官宣旨に「上林庄下村内多田・佃・天田・宗我部国衙」とあるのが初見(鹿王院文書)。下って「伺事記録」天文8年5月27日条には「一、相国寺領丹波国何鹿郡上林内谷忠番事」とあり、寺家代官に仁木右馬頭を補任することを相談している。 忠村は、江戸期~明治7年の村名。何鹿郡上林郷のうち。はじめ旗本城下藤懸氏知行地、元禄2年から旗本小山藤懸氏知行地。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て京都府に所属。同7年佃・武吉両村と合併し建田村となった。 忠町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。もとは綾部市建田の一部。旧忠村の地域。 タダというのだからタタラの地と思われるが、そのような記録も遺跡もない。 旧・建田(たつた)村 村名は合併各村の頭音を合成したもので、建田村は、明治7~22年の何鹿郡の村。忠・佃・武吉の3か村が合併して成立した。 建田は、明治22年~昭和28年の大字名。はじめ口上林村、昭和25年からは綾部市の大字。同28年綾部市忠町・佃町・武吉町となった。 《忠の人口・世帯数》 92・35 《忠の主な社寺など》 鎮守は河牟奈備神社。 武吉町・佃町とともに金刀比羅講を行っている。 村の北端の折(おり)山には山城跡があるが、城主の伝承はない。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 忠の主な歴史記録忠の伝説忠の小字一覧忠町 吠岩 井関 中川原 大田 折山 上忠 坊ノ口 滝ノh口 樋ノ口 ヤタ口 縄ノ内 弁才 段ノ下 段 小白井 坊ノ奥 丁田 堂分 ス□ 大栗 フノリ 見内 森ノ向 森北谷 姿ズエ 堂ノ下 青柳 ビロク谷 源田 平林 ス□ □ノ奥 坊ノ奥 雨乞 段 滝ノ森 深山 関連情報 |
資料編のトップへ 丹後の地名へ 資料編の索引
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『何鹿郡誌』 『綾部市史』各巻 その他たくさん |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Link Free Copyright © 2018 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com) All Rights Reserved |