田野(たの)
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京都府綾部市田野町 京都府何鹿郡綾部町田野 |
田野の概要《田野の概要》 四ッ尾山の裏側というか、南側に位置する田野川上流谷あいの農業集落。中央を府道中山綾部線(709号)が南北に走り、南は長宮峠を経て天田郡三和町に通じる。府道安場田野線(483号)が西へ分岐する。老人ホーム松寿苑がある。 田野村は、江戸期~明治22年の村。はじめ綾部村の枝村、のち分村独立。綾部藩領。綾部組12村の1つ。安場村近くの笹谷地区は、明和3年井倉新町から2軒が出百姓したここにはじまる(沼田文書)。三方を山に囲まれた当村では薪・茅・桑・楮・麻などをつくっている。特に茅は藩の侍屋敷の屋根葺用として上納を義務づけられていた。明治4年綾部県を経て京都府に所属。同22年綾部町の大字となる。 田野は、明治22年~昭和28年の大字名。はじめ綾部町、昭和25年からは綾部市の大字。同28年田野町となる。 田野町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。 《田野の人口・世帯数》 688・183 《主な社寺など》 坂本神社 「愛宕山参道」の石柱と燈籠がある。ここから登るのだろうが、だいぶに奥のようだし、道があるのかアヤシイ、ここで引き返した。 愛宕神社は永禄8年(1565)に高津城主大槻為高の助力により祀るという(社記)。現在は坂本神社に合祀されているそう。 坂本神社は文明年間、近江坂本日吉神社より勧請したと伝え、火除の神として知られ、毎年1月24日に火祭が行われる。坂本神社(旧山王権現)社蔵の文明元年(1469)の文書に次のようにあるという。 覚 山王様御講中番付 一番 文左衛門 二番 弥 介 三番 太 七 四番 久太夫 五番 新左衛門 文明元丙子年 正月十七日 右 以上
天王平
古城跡 田畑反別石高其他には「村ニ而城山ト云、二ケ所」ありとして、「岡倉口付之上平山、福井藤兵衛居ス、赤坂坪之上、西岡丈助居スト村之者申伝ル由」とあるという。
長宮山
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『何鹿郡誌』 『綾部市史』各巻 その他たくさん |
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