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丹波の

粟野(あわの)
京都府船井郡京丹波町粟野


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京都府船井郡京丹波町粟野

京都府船井郡瑞穂町粟野

京都府船井郡瑞穂村粟野

粟野の概要




《粟野の概要》
国道173号(綾部街道)沿いに高屋川が南流する、その流域の集落。井脇の北。
粟野村は、江戸期~明治22年の村。旗本島氏知行地。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て京都府に所属。同22年三宮村の大字となる。
栗野は、明治22年~現在の大字名。はじめ三宮村、昭和26年からは瑞穂村、同30年からは瑞穂町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。

元禄13年(1700)丹波国郷帳には「保井谷村」とあるが、天保郷帳には「古者保井谷村」と肩書して「保井谷粟野村」と記す。旧高旧領取調帳には「粟野保井谷村」と記される。同帳によると旗本島頼母の知行地。のち2村に分離したと見られる。


《粟野の人口・世帯数》 105・48


《粟野の主な社寺など》

曹洞宗徳雲寺末金龍山無動寺

曹洞宗徳雲寺末無動寺。寛正元年の創建、元智の開基で、釈迦牟尼仏が本尊。昭和17年粟野区所属から無動寺所属となった観音堂には十一面千手観音像・持国天像・広目天像を藏し、元禄12年領主島氏が除地寄進し享保3年10両を寄進したという。

『郷土史三ノ宮』
曹洞宗
金龍山 無動寺
所 在 粟野小字堀古の上五〇番地
開 創 寛政元年痩辰(一七八九)
開 基 徳雲二世大清元智禅師
宗 派 曹洞宗
本 山 吉祥山永平寺 福井市吉田郡永平寺町志比
    諸嶽山総持寺 横浜市鶴見町
本 寺 園部町小山 徳雲寺
本 尊 釈迦牟尼仏 座像高八寸
建造物 …
附属仏像
 一、観音堂 木造平尾建茅葺 丸柱建
      建坪 二二、五坪
      仏像○十一面千手観世音 定朝匠代所彫造 時代不詳
        〇持国天王(木彫) ○廣目大王(木彫)
 二、薬師堂 本尊 薬師如来
      木造平屋建瓦葺 建坪十七坪
      所在 粟野小字高木五十七番地
      粟野区所属なりしも昭和十七年一二月三十一日無動寺所属となる。
 三、八幡神社 祭神 応神天皇
      所在 粟野小字堀古の上五十一番地
      宝暦五年午亥八月十四日 願主当村中
 四、稲荷神社 祭神 倉稲魂神
      住持五世代新建
      創建 文化六己霜月二十三日
      願主 住持並担家
由緒由来
  詳らかではないが、この寺院は元天台宗の寺院であったと伝えられ、寛政元年無動寺曹洞宗として開山されたものである。
天台宗であったと裏付けられるものとして、①寛政元年開山後僅か四十一年目に改築されているが、この改築前の寺の規模は、客殿六間×四・五間、庫裡四・五間×三・五間、惣門、観音堂五間×四・五間、鎮守堂、田畑高一三石三斗、山林二ヶ所、壇家四十三戸とあり、之は天台宗寺院として存在したものであると考察される。②亦、天台宗はゴマを焚くが、この付属の観音堂は屋内が燻ぶっている。⑤亦天台宗の寺院のある地名には「坊」の字が多く使れているが、無動寺所在の小谷を「坊谷」と呼ばれている。④亦無動寺の付属建物の観音堂は宝暦五年(一七五五)八月再建されたもので、曹洞宗として開山された寛政元年(一七八九)を溯ること三十四年前で、当然天台宗の所有であったと洞察される。
 この様な点から考えると、無動寺は古え天台宗であったことは明らかであるが、天台宗開山年月等は不詳である。
 観音堂、八幡宮は天台宗時代の建物と推定される。現在の本堂、庫裡は、五世喚明和尚により再建された殿堂である。
○保井谷に、曹洞宗徳雲寺末大恩寺あり、明治二十五年京都府知事、曹洞宗官長の認可により無動寺に合併する。時の住職無動寺十一世石雄当代、大恩寺建物一楝、堅七間、横四間半、平屋建茅葺、建坪三十六坪七合七勺 担戸二十四戸
○大般若経設備 大正九年(一九二〇)四月発願
○梵鐘 無動寺に正徳四年(一七一四)に沢田又左衛門氏の鋳造寄進にかかる梵鐘があった。高さは竜頭を含めて四尺四寸(一米三〇)直径二尺三寸(七十糎)であった。太平洋戦争時仏具の徴発により武器に改鋳されるため昭和十七年(一九四二)一月二十九日担家一同は、村長参列のもとに供出法要を修行し、一同に見送られて出征した。
 供出後三十二年後(昭和四十四年)現住職竺沙一雄和尚と壇信徒一丸となり浄財集めをし、平和と幸福を祈念して梵鐘を再鋳した。この鋳造のために壇家、信徒、近隣縁者等一千余名の協賛をうけた。
 昭和四十六年(一九七一)三月二十八日梵鐘初法要、平和幸福祈願法要を執行した。そしてここに昔のままの姿で再現した。
 鐘には次のように刻まれている。…
檀信徒数(昭和四十七年)(一九七二)
 粟野 五一戸 保井谷 二四戸 計七五戸
年中行事
 …







《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


粟野の主な歴史記録




粟野の伝説


『郷土史三ノ宮』
粟野村と水原村との境界争い
 粟野村と水原村の境いの山の頂上に近い部分で、水原村側に粟野村の山林がある。
 これは古え、この場所をめぐって両村の間に長い間紛争が絶えなかったという。そこで明治年代に時の船井郡長が中へ入り、境界を決定して落着したという事である。
 普通山の境界は山の頂上か谷間になっているが、この部分は山の中腹であって一般の境界とは異なって居り、争いの末決着したものと思われる。






粟野の小字一覧


粟野(あわの)
粟野(あわの) 粟野ノ上(あわののうえ) 井内(いのうえ) 大谷(おおたに) 惣谷(そうたに) 高木(たかぎ) 出合(であい) 中山(なかやま) 成石(なるいし) 呑ケ坪(のみがつぼ) 呑谷(のみたに) 花ノ木(はなのき) ヒヨ谷(ひよたに) 堀古ノ上(ほりこのうえ) 堀古ノ下(ほりこのした) 町(まち)

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『船井郡誌』
その他たくさん



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