橋爪(はしづめ)
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京都府船井郡京丹波町橋爪 京都府船井郡瑞穂町橋爪 京都府船井郡瑞穂村橋爪 |
橋爪の概要《橋爪の概要》 西端がかつての山陰街道の檜山宿場の地、京都から来れば、当地で山陰道が綾部・生野の両路に分岐する。 今の役場や瑞穂(檜山)小学校、JRバス檜山駅などがあるあたりである。山陰道は今の府道444号線で、しかし一帯はずいぶんと再開発されていて、宿場の面影はどこがとこだかさっぱりとわからない。 役場↑ 檜山バス停↓ これが山陰街道か?↓ 橋爪村は、江戸期~明治22年の村。文明元年(1469)8月11日付京極持清書状に「於檜山合戦之時、被官人致太刀打、手負候由」と記され合戦場となっている。交通の要地であったため攻防の場となったのであろう。近世にも村の中心であったらしく、貝原益軒の「西北紀行」に「中尾村」(中台村の誤記か)の次に「檜木山村」を記している。旧高旧領取調帳によると旗本柴田七九郎の知行地。「船井郡誌」では一部が旗本武田氏知行地という。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て京都府に所属。同22年桧山村の大字となる。 橋爪は、明治22年~現在の大字名。はじめ桧山村、昭和26年瑞穂村、同30年瑞穂町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。 《橋爪の人口・世帯数》 380・178 《橋爪の主な社寺など》 二ノ宮神社(八幡神社) 天保2年再建の八幡神社がある。裏山は鼓山。祭神、応神天皇。天保2年再建。 真言宗高野山恵光院末常照寺 高い所にあるのが常照寺、長範開基、寛永5年創建という。その裏山に橋爪城があった。 橋爪城 山内一豊の祖父久豊の居城とされる橋爪城跡で、山内氏の本拠地中の本拠地。 承永の乱(1221)の後、丹波の守護は北条時房-時盛-時益、南北朝期に仁木頼章-頼夏-義伊などで、室町期には山名時氏・氏清、次いで明徳3年(1392)以降は、細川氏が8代にわたり当地を支配した。 こうした中で地方豪族層の出現があり、和田の城山、井尻の旗鉾山、坂井の城山、水原の城山や鎌谷城跡・橋爪城跡・三ノ宮城跡(東西両所)など、中世期の山城城跡が確認される。 橋爪城は山内一豊の祖父久豊の居城で、山内氏は当地に早くから勢力を有していた。 「丹波・橋爪城」 《交通》 檜山宿 《産業》 《姓氏・人物》 橋爪の主な歴史記録橋爪の伝説橋爪の小字一覧橋爪(はしづめ) 大野(おおの) 上中島(かみなかじま) 下島(しもじま) 谷(たに) 町田(ちょうだ) 中山(なかやま) 波佐間(はさま) 東谷(ひがしたに) 檜山(ひのきやま) 淵ノ上(ふちのうえ) 諸内(もろち) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 その他たくさん |
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