八田(はった)
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京都府船井郡京丹波町八田 京都府船井郡瑞穂町八田 京都府船井郡瑞穂村八田 |
八田の概要《八田の概要》 同名の村が、けっこうあちこちにあるが、船井郡内にもう2ヵ所(園部町・丹波町)あるため、当村は郷帳類(元禄郷帳・天保郷帳)には「井尻」を冠して記される。秦氏の地か。町の南部で、北流する土師川の支流井尻川流域に位置する。並行して国道173号が南北に通る。 八田村は、江戸期~明治22年の村。旗本川勝氏知行地。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て京都府に所属。同22年桧山村の大字となる。 八田は、明治22年~現在の大字名。はじめ桧山村、昭和26年瑞穂村、同30年からは瑞穂町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。 《八田の人口・世帯数》 112・53 《八田の主な社寺など》 曹洞宗長楽寺 突き当たりに長楽寺、裏山は兜山。 長楽寺は、洞光寺末、寛政9年、圓寂の開創とという。 当地域の年中行事として9月7日の行者祭、12月の最初または2回目の亥の日に森クゴの山神を祀る「山の口」の神事の2大祭がある。行者山では祈雨も行われる、という。 兜山 『梅田村史』 兜山 字東又・桧山村宇井尻の境界にある山で、その形兜に似ているのでこの称がある。毎年八月二十四日、この山に虫供養として篝火を焚いたが、その焚く個所が山を縦横帯状に掃伐してあり、その筋が形を兜に似せているので、この名がついたのであろう。又一説には、明智光秀が亀岡・福知山の各城を落した時、この山に登り策略をめぐらし、この山に脱兜した地と伝えられる。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 八田の主な歴史記録八田の伝説八田の小字一覧八田(はった) 板坂中ノ切(いたさかなかのきり) 板坂奥ノ切(いたさかおくのきり) 岩ケ下(いわがした) 岩根(いわね) 市ノ山(いちのやま) 岩上口(いわがみぐち) 岩上中(いわがみなか) 岩上奥(いわがみおく) 大砂利(おおじゃり) 奥ノ谷(おくのたに) 門ノ下(かどのした) 上河原(かみがはら) 苅安(かりやす) 高林(こうりん) コシキ谷(こしきだに) 西谷(さいだに) サコ田(さこだ) 下河原(しもがわら) 菖蒲谷(しょうぶだに) 祖母屋敷(そぼやしき) 大門(だいもん) 高畑ケ(たかばたけ) 田ノ谷(たのたに) タワ坂(たわざか) 土井ノ上(どいのうえ) 土井ノ下(どいのした) 堂田(どうでん) 中田(なかだ) 中溝ノ上(なかみどのウエ) 中溝ノ下(なかみどのした) 名床(なとこ) 鍋谷(なべだに) 西ノ本(にしのもと) 西安(にしやす) 野手(のて) 橋爪(はしづめ) 東谷(ひがしだに) 仏谷(ほとけだに) 前ケ谷(まえがたに) 松尾(まつお) 森クゴ(もりくご) 大和柿(やまとがき) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 その他たくさん |
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