東又(ひがしまた)
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
京都府船井郡京丹波町東又 京都府船井郡瑞穂町東又 京都府船井郡瑞穂村東又 |
東又の概要《東又の概要》 国道9号「水原」交差点から南へ府道711号を入る鎌谷の本谷筋から東へ又別れした谷筋で、土師川支流の東又川が北流し、その沿岸に耕地や集落がある。 東股とも書く(旧高旧領)。江戸期は鎌谷を冠称。 東又村は、江戸期~明治22年の村。鎌谷四か村の1つ。亀山藩領。地内の石黒に郷蔵があった。明治4年亀岡県を経て京都府に所属。同22年梅田村の大字となる。 東又は、明治22年~現在の大字名。はじめ梅田村、昭和26年瑞穂村、同30年からは瑞穂町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。 《東又の人口・世帯数》 82・33 《東又の主な社寺など》 春日神社 春日神社は、古来鎌谷の三宮とよばれる。創始は中村の一宮(春日神社)と同様永享3年(1431)大和春日社より分霊を勧請したと伝える。明暦2年(1656)と文化12年(1815)社殿を再建。眼病の神として信仰される。10月15日の例祭時には一宮と下村の二宮(春日神社)の神輿を同社に迎え古例の儀式を行うという。 『梅田村史』 春日神社 字東又小字宮ノ下に鎮座 祭神 武甕槌神、経津主神、天児屋根神、毘売大神 鎮座は永享三年九月五日大和国春日神社内社家富田三位から御分霊奉祀すと、また明暦二年丙申九月二十六日と文政十二年十一月吉日再建云々と記している。 この神社は鎌谷四ケ部落の三ノ宮さんで知られ、昔から眼病の神さんとして信仰されている。 高野山真言宗林光山松岩寺 松岩寺の開祖性遍法印は元禄3年の遷化で、嘉永4年再建された。 『梅田村史』 松岩寺 寺号 林光山 松岩寺 所在 字東又小字才谷 開創 不詳 開基 開山阿闍梨性遍法印 宗派 高野山 真言宗 本寺 高野山 金剛峯寺 本尊十一面千手観世音 住職 日下部徳映 第十一世 仏堂 本堂 庫裡 檀信徒 二十四戸 (大正六年頃までは東又部落全戸が檀徒であったが、ある勢力争いが起り、二派に分離し一方は日蓮正宗に転派した。) 開創年月は不詳だが、開祖阿闍梨性遍法印の墓石に元禄三年七月二十二日死去と刻まれているので、それより何年か、何十年か前であると思われる。本堂の棟札に、 「 大工播忌 楷兵衛立 大阿闍梨法印良房宥遍 六十七歳造立 于時 寛延二己巳歳七月吉祥宿」 とある。これ等から推察すると開山当時はまだ本堂の建物がなく庫裡だけであって、その一部を本堂の代りとしていたのを三世宥遍法印の代に庫裡より離して本堂を建立したものと思われる。そして六世晃雄法印の代、嘉永四年に再建している。 明治期地内の西板谷に寿量寺、大正6年石黒に日蓮宗教会が創建る。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 東又の主な歴史記録東又の伝説東又の小字一覧東又(ひがしまた) 池谷(いけたに) 石黒(いしぐろ) 梅ケ谷(うめがたに) 奥八幡田(おくはちまんでん) 尾笹(おささ) 口八幡田(くちはちまんでん) 暮谷(くれたに) 才谷(さいたに) 三ノ田(さんのでん) 高杉(たかすぎ) 竹ノ下(たけのした) 谷(たに) 谷垣内(たにがいち) 谷奥(たにおく) 谷口(たにぐち) 谷田(たにだ) 鳥ノ谷(とりのたに) 中芝原(なかしばはら) 中ノ坪(なかのつぼ) 中八幡田(なかはちまんでん) 長通り(ながとほり) 縄手(なわて) 西板谷(にしいただに) 馬場(ばば) 東板谷(ひがしいただに) 人子谷(ひとこたに) 雇田(ひよだ) 札場(ふだば) 前田(まえだ) 丸尾(まるお) 宮ノ下(みやのした) 宮ノ坪(みやのつぼ) 関連情報 |
資料編のトップへ 丹後の地名へ 資料編の索引
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 その他たくさん |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Link Free Copyright © 2019 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com) All Rights Reserved |