井脇(いわき)
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京都府船井郡京丹波町井脇 京都府船井郡瑞穂町井脇 京都府船井郡瑞穂村井脇 |
井脇の概要《井脇の概要》 国道173号(綾部街道)の「京丹波みずほインター」入口の少し北側、府道447号が西ヘ分岐するあたり。高屋川が南流し両岸に耕地、集落がある。 井脇村は、江戸期~明治22年の村。旗本柴田氏知行地。万延元年11月上大久保村から起こった農民一揆では当村の掛茶屋西野又兵衛方が打ち毀されている。 明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て京都府に所属。同22年檜山村の大字となる。 井脇は、明治22年~現在の大字名。はじめ檜山村、昭和26年瑞穂村、同30年からは瑞穂町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。 《井脇の人口・世帯数》 157・73 《井脇の主な社寺など》 古墳群 今の「京丹波町みずほインター」のあるあたり、高屋川の西、小字別所には別所1号・2号墳(円墳)がある。いずれも山麓の台地にある。1号墳は径14メートル、高さ3メ-トルで、頂部に稲荷の小祠、横穴式石室を有し、ほば完存する。2号墳はこれよりやや小型で半壊しており、横穴式石室は長さ4・3メートル、幅1・2メートルという。 丁谷にも1基の円墳が確認されている。 古岩神社 府道447号沿いに鎮座。社伝には貞享元年(1684)9月に造営があったという。 曹洞宗養徳寺 曹洞宗の普門寺・幸福寺があったが、両寺は明治27年併合して養徳寺となった。 『船井郡誌』 養徳寺は元小字別所に在り、明治二十七年四月六日同大字に在りし普門寺及幸福寺を併合し、現地に新築移轉したるものなり。 井脇城 「井脇城跡発掘調査報告」 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 井脇の主な歴史記録井脇の伝説井脇の小字一覧井脇(いわき) 井壁(いかべ) 井壁谷(いかべたに) 井根ケ谷(いねがたに) 井脇(いわき) 江戸(えど) 小身ケ谷(おみがたに) 笹山(ささやま) 嶌(しま) 高瀬(たかせ) 高ノ扈(たかのこ) 滝谷(たきだに) タンボ 町田(ちょうだ) 坪井谷(つぼいだに) 鳥居ケ奥(とりいがおく) 西ケ谷(にしがたに) 八田尻(はったじり) 彦部(ひこべ) フコダ 別所(べっしょ) 別所段(べっしょだん) 美濃谷(みのたに) 向井谷(むかいだに) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 その他たくさん |
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