妙楽寺(みょうらくじ)
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京都府船井郡京丹波町妙楽寺 京都府船井郡瑞穂町妙楽寺 京都府船井郡瑞穂村妙楽寺 |
妙楽寺の概要《妙楽寺の概要》 国道173号(綾部街道)沿い、高屋川が平行して南東に流れる。三ノ宮のひとつ南の集落。室町期の応永18年、丹波妙楽寺と尾張妙興寺が尾張国鈴置郷領家職について争っているが、この妙楽寺とは当知の同寺のことであろうかという。 妙楽寺村は、江戸期~明治22年の村。旗本島氏知行地。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て京都府に所属。同22年三宮村の大字となる。 妙楽寺は、明治22年~現在の大字名。はじめ三宮村、昭和26年瑞穂村、同30年からは瑞穂町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。 《妙楽寺の人口・世帯数》 113・51 《妙楽寺の主な社寺など》 曹洞宗万年山妙楽寺 『郷土史三ノ宮』 万年山 妙楽寺 所在地 妙楽寺小字風呂ノ本六〇番地 開創 元和六年(一六二〇) 開 基 龍山宗春 宗 派 曹洞宗 本 山 吉祥山永平寺 福井県吉田郡永平寺町志比 諸嶽山総持寺 横浜市鶴見町 本 寺 園部町 徳雲寺 本 尊 聖観世音菩薩 建造物 本堂 一宇 茅葺 五一坪二二 庫裡 一棟 瓦葺 一二八坪九一 檀徒数 六七戸 由緒・由来・伝説 元和六年(一六二〇)龍山宗春の開基により創建、文化五年(一八〇八)現本寺徳雲寺二世大清元智和尚を請じて開山となす。天保二年(一八三一)八月堂宇全焼し、寺に関する記録及び其他全焼し、古来の寺歴不詳なり。然し部落名及寺名の同一なるを思えば何かの遠由ありと考えられるも今は知るよしもなし 歴代住職 … 天台宗住心院末岩屋山千手寺 地内の太夫に延宝年中創建と伝える天台宗住心院末千手寺(現在単立)がある。 といっても、今はこの千手観音堂を残すのみ。 『郷土史三ノ宮』 岩屋山 千手寺 所在地 字妙楽寺小字太夫六六番地 開 創 延暦年間(七八二-八〇五) 開 基 西願上人 宗 派 本山修験宗 本 山 聖護院門跡 本 寺 住心院 京都市中京区東洞院六角上ル三文字町ニ一五 本尊 十一面千手観世音菩薩 建造物 本堂 木造瓦葺平屋建一棟十四坪 庫裡 木造瓦葺平屋建十九坪 檀徒信徒数 六〇戸 年中行事 毎月十七日 観音法会 八月十日 千日会 八月二十四日 妙楽寺区内の信徒が本堂に参籠して五穀豊穣風雨安穏を祈願する。一般に風垢離と称している。 歴代住職 永年定住職なく不詳であるが、昭和十七年以降の住職は 石 田 真 光 上 島 真 順 佐 藤 宥 栄(兼務) 西 村 柤 芳(兼務) 由緒・由来 当山は今より、一二〇〇年以前、天平十五年行基菩薩の開基と伝えられている。聖武天皇の命により行基一宇の伽藍を国家鎮護の道場として三ノ宮村字三ノ宮の大岩屋に建立し、本尊に七尺立像の十一面千手観世音菩薩、脇立に毘沙門天、不動明王を安置した。 この地は村の中心より十二町ばかり西南の方向にあり嶮岨な山上に瀧があって今も観音堂敷地がある。 平安時代中期の頃、勅命により丹後大江山の悪鬼追討のため、源頼光がこのところを通るとき、かねて霊験あらたかな観世音菩薩に願を立て佛前に参籠して怨敵退散の祈りを捧げ、頼光は遂に悪鬼を滅したと伝えられている。 この千手寺はその後大洪水のため現在の地まで押し流されて来たと言われている。 その後、役行者第四代の法嗣義真の法孫である西願上人が延宝五年(一六七七)現地に創立した。更に聖護院旧宮院家、住心院大僧正晃玄役僧福寿院真海が今の地へ観音堂を移し造立し隣地に庫裡を建てた。 元禄十三年(一七一〇)六月京都住心院未千手寺兼住福寿院と改め代々修験道として相続して来た。 往古より丹波国(何鹿郡・天田郡・氷上郡・多紀郡・桑田郡・船井郡)三十三番札所の十八番として今も尚深い信仰を集めている。 御詠歌 岩屋山瀧の流れに影うつす法の光も近しなるらん 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 妙楽寺の主な歴史記録妙楽寺の伝説『郷土史三ノ宮』 堂屋敷 昔堂が建っていたという屋敷跡が今も尚残っているところがある。即ち妙楽寺小字片瀬の元郷倉があったといわれる横に一ヶ所あり、又三ノ宮の縄手に一ヶ所、同三ノ宮花の木に一ヶ所、質志の桂に一ヶ所、堂屋敷の跡といわれている所がある。 これは昔ここに堂が建てられ、内部の壁には、地獄・極楽等の絵がかかれていて、その地方の人が集会に使ったところだと伝えられている。 古えの文化が仏教から発達して来たという点から考慮すると、仏教に関する建物で、ここを集会所に使っていたものだと思われる。建物は現在はなく、ただ屋敷跡が残っているだけである。 妙楽寺の小字一覧妙楽寺(みょうらくじ) 石原(いしはら) 沖田(おきだ) 片瀬(かたせ) 太夫(たいふ) 段ノ下(だんのした) 出合(であい) 十倉(とくら) 仲畑(なかばた) 風呂ノ本(ふろのもと) 前谷(まえたに) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 その他たくさん |
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