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丹波の

中山(なかやま)
京都府船井郡京丹波町中山


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京都府船井郡京丹波町中山

京都府船井郡和知町中山

京都府船井郡上和知村中山

中山の概要




《中山の概要》
旧和知町の南端。南は旧丹波町。中央を由良川支流高屋川が北流し、両岸の狭い峡谷の段丘上に集落や耕地がある。右岸側を国道27号が貫通し、左岸側をJR山陰本線が走る。
中山村は、江戸期~明治22年の村。元和5年から園部藩領。明治4年園部県を経て京都府に所属。同22年上和知村の大字となる。
中山は、明治22年~現在の大字名。はじめ上和知村、昭和30年からは和知町の大字、平成17年からき京丹波町の大字。昭和29年4月大火で20戸焼失。同45年、鐘打鉱山のカドミウム鉱毒による汚染田(約l0ha)の公害問題が起きたという。


《中山の人口・世帯数》 75・34


《中山の主な社寺など》

旧石器
当町は、由良川水系ではあるが、上流側の丹波町からの進入が比較的容易であり、瀬戸内・山陰双方の文化圏の交錯した地域であると思われる。
さて、平成元年(一九八九)当町中山(高屋川左岸)において発見された打製石器は、サイド・スクレーパー(削岩型石器)と呼ばれるもので、石材は灰黒色チャート、原石から割り取った幅の広い剥片の両側辺部を二次加工して鋭利な刃を付けたものである。特に右側辺には腹面からの加工も加えて交互剥離(ジグザグ状)を施し、使用痕が認められる。先端部を一部欠損しているが、現存長五一ミリメートル、最大幅三五ミリメートル、最大厚九ミリメートルが計測される。
石器については、人類が猿人と呼ばれたころから生活の主要な道貝として順次発達させてきたもので、その加工法も、投擲法(河原石を台石に直接投げ付けて割る方法)から台石打法・両極打法など、用途の多様化とともに定型化し、より精巧な加工法へ進化させてきた。
本石器は、製作技法の上からはなお新しい押圧剥離法(細い棒状の軸で、石材の末端部を圧迫して石片をはがしたもの)を使用している。残念ながら出土状況が層序に伴うものではないので、絶対年代は断定し得ないのであるが、現時点では、おそらく後期旧石器時代の約三万年~一・三万年前の時期に該当するのではないかと思われる。
 当遺物発見後、中山地区と同様の高位段丘上の子来地区(由良川右岸)において、圃場整備後、畦畔法面の黒褐色土から縄文時代の石器(凹型基部を持つ打製石鏃(全長一五ミリメートル))のほか、サヌカイトやチャート、スレート片が採集された。河川氾濫による地層流失の可能性の少ない、安定した堆積層である同様の地域からは、今後さらに続々と遺跡が発見されるものと期待される。
(『和知町誌』)


曹洞宗慈眼山宝林寺


慈眼山宝林寺(曹洞宗) 字中山小字中一七
往昔、孤灯庵という寺屋敷があった。明暦年間(一六五五~五七)、梅天徳公が諸国巡錫の途次、ここに錫をとどめ、村人を教化して一宇を建立し、寛文二年(一六六二)、瑞祥寺八世鉄船舜良を勧請開山に迎え、自ら開基となり、慈眼山宝林寺と号した。本尊は如意輪観音である。安政二年(一八五五)に再建し、明治四年(一八七一)大円鐘堂が、法地を起立した。この後二度、火災に遭い、寺伝記録もほとんど焼失した。さらに昭和二十九年(一九五四)の中山区の大火により、区内民家の大半とともに本堂も烏有に帰した。
寺内の愛染堂に祀る愛染明王坐橡は、真言宗の大刹金撃山寺が、南北朝の兵乱に焼かれたとき、この寺に移されたものと言われる。
(『和知町誌』)


今はお寺はない。向こうのお堂は愛染堂。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


中山の主な歴史記録




中山の伝説など



袖ぼぎ地蔵
金毘羅橋を小畑方面から渡り終って国道二十七号線を右へ筋かいに渡った崖の中腹の岩を切りとって小さい祠があったが、昭和三十五年道路拡張工事の為め道の反対側に移されたお堂、これが袖ぼぎ地蔵と云われ、その玉垣にはっきり、袖ぼぎと記されている。袖ぼぎの由来聞き正したら、以前に一回道の改修で移されたそうで、この地蔵さんの前を、悪いことをした人が通ると必ず倒れてしまうのだと云う。そしてその時、片袖をもいでお詫びをしないと立てないと云う。それだから袖ぼぎ地蔵と呼ばれるので、此の前を通る人は皆謹しんで行くのだそうだ。そんな馬鹿な話と今日の人は云うに違いない。併しよく考えて見ると、我々の祖先の遺した訓えとでも言おうか、自が心を戒めて常に良心に従って行動せよとの遺訓であると思えば、この地蔵さんの存在も有難く尊いものではなかろうか。それこそ地蔵さんの慈悲心であろう。今も尚香華が絶えないようだ。毎年七月二十三日には、ここの例祭で、和知町内の盆踊りの皮切りにされる。かって此の夜の万灯流しを見物に出かけたが、マイクを通しての踊り歌が河の瀨音と競うように耳に入ったのが今でも耳底に残っている。流灯の光が川の流れに砕けながら流れゆく美しさも亦眼の底にある、その時惜しく思ったのは踊り場所が道路上のため、自動車に踊りの輪が乱されたことであった。誰の作か知らないが、その時の盆踊りのポスターに、きのゑ小唄とて書いてあったのを書き止めて置いた。
  和知の河原の水やせて
  むせぶ瀬音に鮎の影
  灯影冷たくぼんぼりの
  うつる川面の万灯に
  きのゑ恋しや袖ぼぎ地蔵
踊りに花咲く恋もあろう、又地蔵尊の大慈悲か、比の御前に踊る人々は皆善男善女なのか未だ倒れて袖をもぎ地蔵尊にお詫した人があったと聞いたことがない。踊る人々に罪はないこと必定とあれば、踊って過すも幸福の一時かと、その夜つくづく思い、善男善女来りて踊れとポスターの一隅に書き加え度いとも思った。併し今はこれに書き加えなければならない、その後自動車の数は激増した。果してあのところで踊りか行われているだろうかと。
(『和知町石の声風の声』)



中山の小字一覧


中山(なかやま)
上垣内(かみかきうち) 上ノ山(うえのやま) 畑中(はたなか) 相谷(そうだに) 岡畑(おかはた) 森垣内(もりがきうち) 細追尻(ほそおじり) 堂ノ下(どうのした) シヤカ畑(しやかばた) ハシノ上(はしのうえ)

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『船井郡誌』
『和知町誌』各巻
その他たくさん



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