西河内(にしかわうち)
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京都府船井郡京丹波町西河内 京都府船井郡和知町西河内 京都府船井郡上和知村西河内 |
西河内の概要下粟野から西へ西河内川に沿って府道481号(上杉和知線)を入った谷間で周囲は広大な山林地帯。沿岸の小地に耕地・集落が立地する。また西河内川の支流の支谷の奥まった地に養立(よだち)の集落がある。 西河内村は、江戸期~明治22年の村。「丹波誌」に見える「賎ケ嶽ノ戦ニ蜂須賀小六ノ功アルヲ賞シ、秀吉ヨリ丹波国河内五千石ヲ賜へリトハ此ノ地及ビ上河内ニヤ」は当地のことかとか。元和5年から園部藩領。明治4年園部県を経て京都府に所属。同22年上和知村の大字となる。 西河内は、明治22年~現在の大字名。はじめ上和知村、昭和30年からは和知町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。 《西河内の人口・世帯数》 86・32 《西河内の主な社寺など》 鎮守は下粟野の阿上三所神社。 檀那寺は下粟野の曹洞宗地蔵院。 養隆山瑠璃光寺の薬師堂 養立の町道脇に「養隆山瑠璃光寺参道」の石塔がある。そこから少し登った所にある。 そうした寺院があったものか、記録がないが、今は観音堂だけが残る。隣に粟嶋神社がある。 女の人の神様ということで、郡是の工場があったころは女工さんたちのお参りがたくさんあって賑い、髪の毛の奉納品もたくさんありました、今はもうありません、とのことであった。 文化8年に建立された蚕供養塔がある。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 西河内の主な歴史記録西河内の伝説
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 『和知町誌』各巻 その他たくさん |
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