大倉(おおくら)
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京都府船井郡京丹波町大倉 京都府船井郡和知町大倉 京都府船井郡上和知村大倉 |
大倉の概要《大倉の概要》 国道27号の和知トンネルを東側へ抜けてところあたり、和知中学校のあるあたりである。南を由良川が西流し、並行して国道27号が走る。段丘上に耕地や集落がある。 中世には和智荘の荘域で、すでに天正年間には九条家領「和智村」のうちとして「大蔵村」と見え、九条家に年貢を進納している。 大倉村は、江戸期~明治22年の村。元和5年から園部藩領。安永年間子来(ねごろ)井根開削による新田が開発される。当村は水利が不便で畑地が多く。養蚕を多く行っていた。村高は元禄13年(1700)丹波国郷帳では43石余であったが、天保郷帳では129石余と3倍増している。明治4年園部県を経て京都府に所属。同22年上和知村の大字となる。 大倉は、明治22年~現在の大字名。はじめ上和知村、昭和30年からは和知町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。 《大倉の人口・世帯数》 162・62 《大倉の主な社寺など》 鎮守は本庄の阿上三所神社 金比羅神社
檀那寺は市場の曹洞宗善入寺 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 大倉の主な歴史記録大倉の伝説
大倉の小字一覧大倉(おおくら) 道ノ中(みちのなか) 西垣内(にしかきうち) 下垣内(しもかきうち) 東垣内(ひがしかきうち) 道ノ上(みちのうえ) 馬踏石(うまのふみいし) 木上(きのうえ) 家田(えだ) 池ノ本(いけのもと) 道ノ東(みちのひがし) 道訳(みちわけ) 道西(みちにし) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 『和知町誌』各巻 その他たくさん |
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