旧・竹野村(たけのむら)
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京都府船井郡京丹波町水戸・新水戸・口八田・高岡 京都府船井郡丹波町水戸・新水戸・口八田・高岡 京都府船井郡竹野村 |
旧・竹野村の概要《旧・竹野村の概要》 竹野村は、明治22年~昭和26年の船井郡の自治体。水戸・新水戸・口八田・高岡の4か村が合併して成立した。大字は旧村名を継承された。 明治25年頃から北海道への移住者、都会への転住者などが続出し、一時期250余戸まで減少したが、昭和16年頃から再び増加。 隣接する須知町からの合併提案は大正3年頃から見られ、昭和6年には京都府からの合併推進の動きがあったが実現しなかった。同26年議員定数22名中竹野村10名とすること、財産は直営林20町余を財産区設置により処分、貸付地105町は個人名義として処分することなどを条件に、須知町に合併。村制時の4大字は須知町の大字に継承された。 富田の主な歴史記録『船井郡誌』 竹野村 一、沿革 古の出鹿郷にして、延喜式に出石鹿山+石部神社あり(今須知町大字曾根)天暦八年の太政官符に出鹿郷の戸主丹波直繼有の名あること通誌第二章既述の如し。徳川時代には八田辻村、八田笹尾村、八田中畑村、八田中村、八田下村、八田鎌倉村、西階村、水戸村、新水戸村の九村に分れ、亀山藩の所領たり。廢藩の後亀岡縣に屬し、明治四年十一月京都府の所轄となる。五年各村に戸長を置き九年八田辻村、八田笹尾村、八田中畑村を合して口八田村とし、八田中村、八田鎌倉村、八田下村、西階村を合して高岡村とす。二十二年町村制實施の結果、水戸、新水戸、口八田、高岡四村を合して現時の竹野村を形成したり。 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 『丹波町誌』 その他たくさん |
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