中台(ちゅうだい)
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京都府船井郡京丹波町中台 京都府船井郡瑞穂町中台 京都府船井郡瑞穂村中台 |
中台の概要《中台の概要》 鼓山の南にあり、旧山陰街道(府道444号・桧山丹波線)に沿う。村域は中台野あるいは皿引野(さらびき)(東西二キロ、南北一キロ)とよばれる高原状の台地である。貝原益軒の「西北紀行」は京街道沿いの檜木山村(橋爪村)の前に「中尾村」と記すが、中台村の誤記であろうか。円墳や窯跡などの遺跡が確認されている。 中台村は、江戸期~明治22年の村。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに470石余。「旧高旧領」では467石余、うち旗本柴田七九郎知行地256石余・綾部藩領86石余・園部藩領124石余。なお「元禄郷帳」では幕府領・園部藩領・旗本柴田和泉守知行。 旗本知行地は明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、藩領は同4年綾部県、園部県を経て、いずれも同4年京都府に所属。同22年檜山村の大字となる。 中台は、明治22年~現在の大字名。はじめ檜山村、昭和26年瑞穂村、同30年からは瑞穂町の大字、平成17年からは京丹波町の大字。 《中台の人口・世帯数》 463・243 《中台の主な社寺など》 小字中島の台地上に中島古墳がある。横穴式石室(長さ4・8メートル、幅1・8メートル)をもつ径10メートル、高さ1メートルの円墳で、多数の須恵器が出土した。古墳の西側には縄文・古墳時代の中台遺跡があり、縄文・弥生・土師・須恵器片の散布がみられ、原始古代集落跡の可能性が考えられている。 曹洞宗西岸寺 本尊、阿弥陀仏。龍相開基、寛永10年改宗という。 和泉式部の墓 西岸寺の門前に、和泉式部の墓と伝えられる二メートルの五輪塔が建つ。式部が丹後・但馬を旅行して都に帰る途中(別説に病気のため但馬の温泉に赴こうとして)正暦四年(九九三)三月二一日当村で死亡したといい、死に至るまで西岸寺本尊に祈願していたのでここに葬ったと伝えるという。また、 『船井郡誌』は、 和泉式部墓 大字中臺小字櫻梅に在り。五輪の塔高さ七尺許り、数株の櫻梅塔側に在りて芳魂を守れるが如し。式部は但馬丹後の間に遊び京に歸らんとて、正暦四年三月此驛を經、病に罹り二十一日卒去せしかば、里人此地に葬れりといふ。因に京都新京極誓願寺の南に誠心院あり、式部が晩年閑居の遺跡にして、境内に式部の塔あり、高さ八尺餘の寳筐形にして塔畔一株の軒端の梅を留めたり。 探すが、そんな物が見当たらない。あるいはこれだろうか。 高さ1メートルほどの宝篋印塔が境内の下すみにある。台は新しいから、このあたりの道路などが整備された際に、この「墓」も新たに整備されたものかも。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 中台の主な歴史記録中台の伝説中台の小字一覧中台(ちゅうだい) 市ノ坪(いちのつぼ) 弥谷(いやだに) 岩谷(いわだに) 大沢(おおさわ) 垣内(かいち) 北垣内(きたがいち) 桜梅(さくらうめ) 塩谷(しおたに) 下垣内(しもかいち) 新南垣内(しんみなみかいち) タワ 土橋(つちはし) 鼓山(つつみやま) 天ケ棚(てんがたな) 堂田(どうでん) 轟キ(とどろき) 中島(なかじま) 野畑(のはた) 原(はら) 人羅(ひとら) 南垣内(みなみかいち) 南垣内向井田(みなみかいちむかいいだ) 向イ野(むかいの) 藪ノ外(やぶのそと) ヨカワ 来光田(らいこうでん) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『船井郡誌』 その他たくさん |
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