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相田(あいだ)
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相田の概要《相田の概要》 小谷村の南、出石川の左岸に注ぐ佐々木川の流域にある。国道426号から分岐する県道小谷佐々木線252号沿いに集落が散在、周囲は山に囲まれる。 相田村は、 江戸期~明治22年の村。但馬国出石郡のうち。山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛、同年から前野長康が領した。文禄4年からは出石藩領。明治22年合橋村の大字となる。 相田は、明治22年~現在の大字名。はじめ合橋村、昭和31年からは但東町の大字。平成17(2005)年より豊岡市の大字となる。 《相田の人口・世帯数》 130・48 《相田の主な社寺など》 ![]() ![]() ![]() ![]() 寛政元年(1789)の棟札が残る。 ![]() ![]() ![]() ![]() 但馬安国寺は、裏庭というか裏山の「ドウダンツツジ」の紅葉が色鮮やかなことで、よく知られる。やがては訪れるのであろう、あの世の様子が少し見える。 ![]() ![]() 開山は法灯国師(無本覚心)といわれ(扶桑五山記)、法灯派の禅寺として鎌倉後期に開創されていた。本尊は釈迦如来。南北朝時代、足利尊氏・直義は全国に一寺一塔の建立(既存寺塔の改号)を進め、貞和元年(1345)光厳上皇の院宣を受けて寺を安国寺、塔を利生塔と称するようになった。利生塔は豊岡市金剛寺で、暦応2年(1339)に但馬の塔婆料所が寄付されている(「二方考抄」北村家文書)、当寺が但馬の安国寺に指定されたのも同時期であろうか。応永2年(1395)春、大椿首座が足利義満の推挙によって「但州安国禅寺」の住持となり、のち著名な禅僧となる岐陽方秀が大椿首座を慶賀する同門疏を書いている(不二和尚遺藁)。江戸時代に京都大徳寺末寺となり、延享2年(1745)の末寺帳(寺蔵)では、出石城下宗鏡寺の6ヵ末寺の1となっている。享保2年(1717)に堂宇を焼失した、享保年中に義安によって再興された。什宝として台座に永正13年(1516)の銘のある聖観音像が残る。移転の時期は不詳だが、現在地南方の山中が旧寺地であったとされる。 『但東町誌』 相田の安国寺
室町幕府の初代将軍足利尊氏(一三〇五-1351)が夢窓国師(一二七六-一三五一)のすすめにより、後醍醐天皇の菩提を弔い、あわせて元弘の変以来の戦死者の霊を慰めるため、全国に一寺一塔を建立しようと願い出て建武二年(一三三五)勅許され、安国寺の造営が、全国に行われた。 しかし多くは戦後の経済的理由により、これまでの寺院を安国寺と呼びかえ、または修理して料所を寄進するに止まる例が多かった。安国寺の造営については、別に奈良時代の国分寺造営にならい、足利氏による天下統一の威信を示そうとしたものである。但東町の安国寺跡は相田の寺谷の奥の台地にあるが、疎石そのほか当時を物語る遺構は何ものも残っていない。 現在の安国寺は中興住翁安公座元禅師(亨保一四年-一七二九歿)により再興されたが、明治三六年(一九〇三)相田部落一四戸の大火で炎上し、その後再建されたものである。 開基は足利尊氏、開山は臨済宗、南北朝時代の名僧夢想国師である。本尊は木彫釈迦如来の座像であるが、近世の作と思われる。 『但東町誌』 安国寺 (相田)
臨済宗 大徳寺派 (大徳寺末) 本尊 釈迦 由緒 不詳 本堂 桁行五間半 梁行七間 庫裡 桁行二間半 梁行三間半 境内地 二百五十四坪 官有地第四種 信徒 三百九十七人 境内佛堂 一宇 庚申堂 本尊 青面金剛 由緒 文政五年創建 建物 明治三十六年五月廿四日類焼 ![]() ![]() 今の安国寺の駐車場になっている所、「安国寺公園」の案内板があるが、そこが跡地だという。写真の左は相田神社、その先へ続く道を200メートル行くと跡地だという。直線道路を行くと河本谷の日殿へ出る(坂浦峠)。右下へ行くと安国寺。 ![]() 旧安国寺跡 夏ツバキ公園 ここより約二〇〇米旧安国寺跡地一帯に沙羅樹(夏ツバキ)の群生を発見、その規模は県下随一と認められ平成四年度森林整備事業として雑木の除伐、下草の刈払遊歩道の整備と空間に桜他八種類の花木が植栽され散策や花の鑑賞森林浴、自然学校に適している。夏ツバキは約三〇〇本、花の見頃は六月中旬から七月上旬 ![]() 《交通》 ![]() 《産業》 《姓氏・人物》 相田の主な歴史記録相田の伝説![]() 相田の小字一覧関連情報![]() |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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