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東中(ひがしなか)
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東中の概要《東中の概要》 明治初年に東中村と改称したもので、それ以前は中村といった。正保(1644-48)頃成立の国絵図に村名がみえる。 円山川支流出石川最上流域に位置する。県道山東大江線(63号線)沿いに人家が散在。 東中村は、明治初年~明治22年の村。出石郡のうち。明治初年中村が改称して成立。同22年高橋村の大字となる。 東中は、明治22年~現在の大字名。はじめ高橋村、昭和31年からは但東町の大字。平成17(2005)年より豊岡市の大字となる。 《東中の人口・世帯数》 54・21 《東中の主な社寺など》 ![]() ![]() 新宮川に沿って奥ヘ入っていくと、どんつきに鎮座する。(大きな車で入ると180度転回が難しい)。前の谷川が禁漁の川なのであろう。魚の姿はない。 その案内板に↑ 禁漁区の由来
村上天皇の康保年間(九六四-九六八)勅使大宮吉光殿、薬王寺牛頭天王社へ下向の時、紀州熊野明神を当村新宮谷へ勧請せらる。文禄四年(一五九五」の頃、出石藩主小出大和守吉政公の時、小坂東中両村氏子となる。往古より川魚を捕らぬ習わしあり、その起源、新宮谷川の神池より鯉の流失にはじまるとも云う。 以来村民挙げて神魚とし乙保護に努め江戸時代の天明五年(一七八五)の頃、出石藩主仙石越前守久道公、村民の美挙をたたえ、殺生禁止の公札を下す。 往時は渓流に手をつけるとモツ、ヤマガワコイ、時にはナマズ、ウナギまで群れをつくって集まり、手をつつき飯器を洗えばおどつてその中に入り、水も汲めぬ有様で訪れるものは、その奇観に驚いて、その理由を聞かぬものはなかつたという。 久畑尋常高等小学校編、昭和六年発行『但馬読本』に拠る 平成十五年一月一日東中ふるさと委員会 当地は初め薬王寺村の牛頭天王社(現大生部兵主神社)が氏神であったが、文禄四年同社の氏子から離れ、小坂村とともに当新宮神社を創立したと伝えている。 かつて新宮神社の氏子は神池に神魚を放ち守っていたが、大水害で神池が流失し神魚も流れた。そこで新宮川一帯は禁漁区と申し合せたが、大正11年内務省指定となり現在に至るという。 《交通》 ![]() 《産業》 《姓氏・人物》 東中の主な歴史記録東中の伝説![]() 東中の小字一覧関連情報![]() |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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