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日向(ひなだ)
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日向の概要《日向の概要》 東里ヶ岳北麓、太田川の南岸にある。正保(1644-48)頃成立の国絵図に「ひなだ」とみえ、高92石余。県道2号線沿いの町道沿いに人家が散在。 日向村は、江戸期~明治22年の村名。但馬国出石郡のうち。山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛、同年から前野長康が領した。文禄4年出石藩領、寛文6年からは旗本(倉見)小出氏知行。明治22年資母村の大字となる。 日向は、明治22年~現在の大字名。はじめ資母村、昭和31年からは但東町の大字。 平成17年より豊岡市の大字となる。 《日向の人口・世帯数》 22・10 《日向の主な社寺など》 ![]() ![]() 集落の中ほどに日向神社。当社には東里ヶ岳頂上にあった栗丹寺のものとされる薬師如来坐像が安置されている。高さは2尺5寸で、源信の作と伝えられる。 ![]() 文久3年(1863)銘の庚申塚(160×69センチ)が残る。このあたりの村々には背丈もある庚申塔が必ずといってよいほど遺されている。 《交通》 ![]() 《産業》 《姓氏・人物》 日向の主な歴史記録日向の伝説![]() 日向の小字一覧関連情報![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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