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唐川(からかわ)
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唐川の概要《唐川の概要》 三原の北隣、太田川の北岸に位置し、集落は出石・宮津道沿いに発達。唐河とも書いた。正保(1644-48)頃成立の国絵図には出石城下から谷山川沿いに進み、八坂峠を越えて・奥矢根を経て当地へ出、出石・宮津道(丹後道)に合流する山道(奥矢根道)が描かれている。鯵山峠越の道が開かれるまで、この山道が出石藩主の参勤交代路であったと伝える。 当地から北上して円城寺峠を越え、丹後国熊野郡市野々村(久美浜町)を経て同郡久美浜に至る道が通じていた。奥矢根道と円城寺峠を越える道の分岐点には「右宮津なりあい道 左くみはま道」と記された明治三年の道標が残る。 南北朝時代には太田庄のうち下方にあたる村であった。文化2年(1805)の御好明細帳(太田家文書)に、当村は農間に柴・薪を刈り、炭を焼いて出石城下で売り、冬場には杜氏として山城伏見や摂津灘の酒蔵に出稼に行く者もいた。また養蚕・製糸も盛んであった。集落は唐川本村・奥山・寺山からなる。 唐河村は、南北朝期に見える村名。但馬国出石郡太田荘のうち。貞和3年6月24日付太田刑部守延譲状(広峰神社文書)に、守延の但馬国内の所領として「大田ノ下方唐河村」があり、息女童子に譲与されている。 唐河村は、江戸期~明治22年の村。出石郡のうち。山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛,同年から前野良康が領した。文禄4年出石藩領、元禄9年からは幕府領。 明治22年合橋村の大字となる。 唐川は、。明治22年~現在の大字名。はじめ合橋村、昭和31年からは但東町の大字。平成17(2005)年より豊岡市の大字となる。 《唐川の人口・世帯数》 147・59 《唐川の主な社寺など》 ![]() 岡神社。宝暦9年(1759)の本殿再興棟札が残る。祭神は少彦名神。下隣の三原村の鎮守と同じ社名で同じ祭神である。三原村が出石藩領から旗本小出氏の知行となるとき分霊したものと推察されている。 神社横のこの道↑が出石の殿様の参勤交代道。 尖った山は高竜寺山、左手へ続く低い稜線を越えると久美浜の市野々へ出る。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 唐川の主な歴史記録唐川の伝説唐川の小字一覧『兵庫県小字名集Ⅱ但馬編』96【唐川】(からかわ) 岩吹(いわぶき)、城山(しろやま)、鉄木口(てつつぎぐち)、鉄木(てつつぎ)、小姓前(こしょうまえ)、竹添(たけぞえ)、手上(てあげ)、岡田(おかだ)、百合岡(ゆりのおか)、堂ノ前(どうのまえ)、一ノ谷(いちのたに)、小ノ谷(おのだに)、奥カチ(おくかち)、細谷(ほそだに)、大谷(おおたに)、小屋谷(こやがたに)、砂シ(すなし)、由柿(よしがき)、下ノ川(したのかわ)、前田(まえだ)、金屋(かなや)、石田(いしだ)、三角(みすみ)、金吹(かなぶき)、中坪(なかつぼ)、嶋田(しまだ)、掛田(かけだ)、池ノ谷(いけのたに)、カリウ谷(かりうだに)、赤ハゲ(あかはげ)、足谷(あしだに)、後柿(ごがき)、峠ノ谷(とうげのたに)、炭釜口(すみがまぐち)、尾崎(おさき)、寺山(てらやま)、井田(いだ)、清水(しみず)、小谷(こだに)、亀ナシ(かめなし)、八取(はっとり)、向山(むかいやま)、上ノ山(うえのやま) 関連情報 |
資料編の索引
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| 【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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