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水石(みずし)
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水石の概要《水石の概要》 但東町の西端、出石川の南岸に位置し、集落は東床尾山北麓の谷間に形成される。文禄4年(1595)出石に入部した小出吉政(のちの出石藩主)領となる。元禄9年(1696)出石藩小出家は無嗣絶家となり、同藩領はいったん収公されたが、翌10年松平(藤井)忠周が武蔵国岩槻(埼玉県岩槻市)から移って出石藩主に就任すると再度出石藩領となり、同藩領で幕末に至ったと考えられる。正保(1644-48)頃成立の国絵図に村名がみえる。 水石村は、江戸期~明治22年の村。但馬国出石郡のうち。山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛、同年から前野長康が領した。文禄4年からは出石藩領。明治22年合橋村の大字となる。 水石は、明治22年~現在の大字名。はじめ合橋村、昭和31年からは但東町の大字。平成17(2005)年より豊岡市の大字となる。 《水石の人口・世帯数》 63・24 《水石の主な社寺など》 ![]() ![]() 「延喜式」式内社出石郡名神大社の御出石神社は、今は西隣の集落・出石町桐野に鎮座する御出石神社に比定されている、しかし元来は当地に鎮座していたとする説がある。地名の水石から考えてもそうであろうかと思われる。御出石神社の元社の復元か。しかし今のこの地ではないという。祭神は出石神社と同じ天日槍であろう、このあたりも天日槍が開発した地であろう。 『出石町史』 一説に水石 桐野両村の境に宮地ありとするの事実あり、現在但東町水石地区内に式内御出石神社と称する一社あり。桐野村にある御出石神社は、平安鎌倉時代より江戸末期に至るまで賀茂大明神、賀茂神社と称した。
『但東町誌』 御出石神社についてみよう。
但馬国式内道志留辨によれば、この社は今の「桐野水石両村の間にあり」旧記に依れば往昔両村の中間にあり、大洪水によって桐野村に流失して宮畑の地に移ったとされている。 神祇志料によれば 出石郡神社神名帳 式内社 御出石神社 祭神大己貴命御出石櫛甕玉命但馬世継記(但馬故事記) 大己貴命御出石櫛甕玉命水石丘に奉祀(但馬国神社燈明記) 御出石神社水石村在神主神(みわ)右太夫直正 祭神 大己貴命御出石櫛甕玉命(国司文書 御出石神社系譜伝) 御出石神社御出石(水石)御出石神社鎮座之地也奉斉大己貴命御出石櫛甕玉命又有贄土師部神社。 さらに「兵庫県神社誌」下巻によれば 「神武天皇六年創立と伝え、天日矛命の子孫土野庄水石に奉斉すると伝ふ、延喜式名神大社に列せられ平安鎌倉の時代加茂社領として加茂神社とも崇め、足利時代領主山名家の崇敬厚く、社領の寄進殿の修覆を行い、永禄一二年社殿を再建し、天正八年羽柴秀吉社領没収して社頭とみに衰微するに至る。その後江戸時代仙石氏の崇敬厚く、万治二年本殿修理す」とされている。 思うに神武帝六年「天日矛命」とあるは「大己貴命御出石櫛甕玉命」とするが至当であり、又一説に水石桐野両村の境に宮地ありとするの事実あり、現在但東町水石地区内に式内御出石神社と称する一社あり。桐野村にある御出石神社は、平安鎌倉時代より江戸末期に至るまで賀茂大明神、賀茂神社と称した。 同社雑載の部の(神社調書)よれば、 「出石郡の南端丹波の国境に床尾と称する但馬五高山の一あり。其山脈の頂上に金?(石+召)紹称する平面石の羅列する岩石地あり、往古天日槍命疏鑿の器具を製し終ふと言ふ。床尾麓出石郡合橋村畑に、上鍛治下鍛治の両家あり、往古天日槍命の瀬戸切抜工事用の金具を送りたるものと言ふ」と。 また天の日槍の古墳地と伝えられる古墳が水石にある。水石所在天日槍命八種の神宝を携さえて、近江の国より但馬に入り、ここ水石に永住して但馬啓発に努力し、ここを終焉の地とした。今もその古墳山を屋敷跡といわれている。 『但馬考』 延喜式曰御出石神社、名神大、今コノ神社ナシ、夕ゝ荒神二社アリ、或ハ云桐野賀茂大明神コレ也卜、然トモ、桐野御出石トモニ式内ニアリテ、モトヨリ二社ナリ、今混シテーツニシカタシ、又此地ニ、木船大明神アリ、俗ニ賀茂ノ御前卜稱ス、コレ實ノ桐野神社ニテ、賀茂ハイヨイヨ御出石神社ナルカ、式ニ大社トアレハ、妄リニハタヘシトヲモハル、
![]() 薬師堂は江戸時代末期に井戸を掘削した際出土したといわれる薬師如来・十一面観音・十二神将などの朽ちた木像が二十数体置かれている。これらの像は当地にあった古代寺院のもので、同寺は山崩れによって像もろともに埋もれたものと考えられ、薬師堂の奥には寺跡といわれる地もある。 《交通》 ![]() 《産業》 《姓氏・人物》 水石の主な歴史記録水石の伝説![]() 水石の小字一覧関連情報![]() |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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