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西谷(にしだに)
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西谷の概要《西谷の概要》 ![]() ![]() 西谷村は、江戸期~明治22年の村。但馬国出石郡のうち。山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛、同年から前野長康が領した。文禄4年からは出石藩領。明治22年合橋村の大字となる。 西谷は、明治22年~現在の大字名。はじめ合橋村、昭和31年からは但東町の大字。平成17(2005)年より豊岡市の大字となる。 《西谷の人口・世帯数》 50・20 《西谷の主な社寺など》 ![]() ![]() 『但東町誌』 桂昌寺 (西谷)
臨済宗 妙心寺派 (妙心寺末) 本尊 釈迦 由緒 開基諾渓 永享六甲寅年四月創建 堂宇 桁行五間三尺 梁行四間三尺 鐘楼堂 方一間三尺 境内地 百七十四坪 民有地第一種 各受人 久保香厳 檀徒 百九十四人 ![]() 木造十一面観音立像(県指定文化財)を安置する。榧の木の一木造で、像高154センチ、平安時代のものとされるが、行基作とか、河本の松尾寺(現廃寺)のものであったなどの伝承も残る。 ![]() ![]() ちょっとわかりなくい所だが、道は狭いがある。扉が閉まっているので、観音様は拝めない。案内板に、 兵庫県指定重要有形文化財
(平成三年三月三十日指定) 木造十一面観音立像 一躯 平安時代 一木造り 像高一五三・五センチ 但東町西谷区蔵 木彫り、彩色の像で、内部をくりぬかない一木造りである。頭上に十一の仏、左手に水がめを持つ十一面観音である。 脚部に波状、渦状の紋様を彫刻し、全体に、おごそかで重重しい平安前期の様式が見られるが、作風から考えて平安中期の作と思われる。 大きくうねる条帛(絹の上衣)、腰部の裳(絹の下衣)の折り返し、ひざのあたりでたくられ左右へ広がる裳のすそ、顔部の厚みが左右で異なるなど、注目すべき点が多い。 右手首より先、右足先、両手からさがった天衣、持物、光背、台座、彩色などは、あとになって修理の時に施されたものであり、平安前・中期の特徴がそこなわれているのが惜しまれる。 但東町教育委員会 ![]() ![]() 清流の滝はキャンプ地になっている。 《交通》 ![]() 《産業》 《姓氏・人物》 西谷の主な歴史記録西谷の伝説![]() 西谷の小字一覧関連情報![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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