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小谷(おだに)
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小谷の概要《小谷の概要》 出石・福知山道(国道426)が通る。出合から入って、佐々木川との合流点付近にある集落。 中世は、雀岐庄東方(領家方)の一村で、南北朝時代の相論の具書として関係史料が伝わる。何ともややこしいハナシだが、貞和5年(1349)5月28日、「増法寺・小谷以下田畠・在家」らが、但馬国大高山凶徒(南朝方)与同輩であった雀岐庄公文志津田彦三郎入道の跡地として、前年に将軍足利尊氏から下文を受けていた門真左衛門尉寂意代快尊に打渡された。門真氏は河内国門真(大阪府門真市)を本貫とする国人であろう。ところが門真寂意は当村と平田・増法寺3ヵ村の領家職をも「一円押領」したとして領家の坊門為名家から幕府に訴えられた。坊門為名は為輔の子。3ヵ村の領家職を相伝した経緯は明らかではない、弘安8年(1285)の但馬国太田文作成当時、東方の領家職は「尾張三位入道子息三人」がもっていた。この3人とは為輔の兄俊輔の子輔能・俊親・清忠の3人と推定される。ところが俊親の子親輔が建武3年(延元元年、1336)後醍醐天皇に従って大和国吉野に参向したため雀岐庄栗尾村の領家職を没収され、貞和2年に俊輔の女子の子である勘解由小路兼綱に与えられている。当村など3村の領家職ももと吉野に参向した坊門家の一族がもち、没収ののち、坊門為名に与えられたのではなかろうか。坊門為名家の提訴に対して貞和5年12月25日付で「志津田跡公文職之外、於惣庄村々者、厳密返渡」を命じる将軍家御教書(案)が出され、翌年正月17日付で守護代藤原基高は御教書のとおりに坊門家雑掌に打渡している。その直後、小谷など3村の領家職について今度は太田孫太郎が濫妨したとして同じく坊門為名家から幕府に訴訟し、観応2年(1351)3月24日付の幕府引付頭人奉書(案)によって濫妨が停止され、同年4月21日付で守護代雅楽助某によって下地が坊門家雑掌に沙汰付されている。さらに名主・庄官らも濫妨したとして同じく坊門為名家から幕府に訴え、貞治5年(1366)12月14日付の将軍家御教書(案)によってその濫妨が停止されている。 領家職についての違乱が相次いだうえに、門真寂意は逆に公文職名田畠が領家方に沙汰付されたと幕府に訴え、観応元年3月28日付引付頭人奉書(案)によってその返渡が命ぜられ、寂意代快尊に沙汰付されており、さらには前公文志津田入道に連なる明覚との間に公文職名田畠をめぐる相論があった。半済の問題も起こっていた。応安元年(1368)8月27日付守護長道全の書下(案)は、坊門為名家雑掌の訴えを受けて小谷・平田・増法寺3村が領家方であることを改めて確認するとともに、下地は公文分を除いて「大法」に任せて坊門家雑掌に返渡し、半済は傍例に任せて沙汰すべきことを命じ、同年9月2日付で守護代香住朝綱が施行している。南北朝中期の当村はじめ平田・増法寺3村の領家職などをめぐる相論の経過は以上のとおり、以後の史料を欠く。坊門為名家は領家職知行の確立を目指し相論を繰返したものの、結局軌道に乗らなかったのではないか。 小谷村は、江戸期~明治22年の村。出石郡のうち。山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛も同年から前野長康が領した。文禄4年からは出石藩領。明治22年合橋村の大字となる。 小谷は、明治22年~現在の大字名。はじめ合橋村、昭和31年からは但東町の大字。平成17(2005)年より豊岡市の大字となる。 《小谷の人口・世帯数》 137・51 《小谷の主な社寺など》 ![]() 昭和58年の遺跡発掘調査では,縄文式土器・弥生式土器・土師器・須恵器などのほかに、硯や墨書土器、ヘラ書文字のある土器片が出土しており、律令制下の何らかの公的機関および建造物の存在が想定されている、という。岩本神社の下の方のようだが、写真↓でいえば、突き当たりの右側の谷間のよう。 ![]() ![]() ![]() ![]() 集落へ入って北側の山、集落からは鳥居だけが見える。社殿は山の上にあるよう。 享保14年(1729)の本殿建立棟札を伝える。同社裏山の頂上、標高約180メートルの地に山名氏の支城とされる中世の京川砦跡がある。 ![]() 《交通》 ![]() 《産業》 《姓氏・人物》 小谷の主な歴史記録小谷の伝説![]() 小谷の小字一覧関連情報![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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