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奥赤(おくあか)
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奥赤の概要《奥赤の概要》 中赤花村の南の奥に位置する。南は薬王寺峠を境に薬王寺村、東は大谷を経て丹後国与謝郡滝村(京都府加悦町)の 奥赤は、大正6年~現在の大字名。はじめ資母村、昭和31年からは但東町の大字。平成17年より豊岡市の大字となる。もとは資母村奥赤花。世帯数・人口は、大正9年29 ・ 161、 昭和35年27 ・ 133 。地内は西の堂垣と東の大谷に分かれ、2つの谷を結ぶトンネルは文久年間に開通し昭和24年まで利用されていたという。 《奥赤の人口・世帯数》 18・12 《奥赤の主な社寺など》 若宮神社、梅林寺があった。 『資母村誌』 若宮神社 奥赤花村に在り
祭神不明 俗に梅ヶ迫爺を祀ると云ふ 札奉造立若宮大明神一宇結願成熟加護所 寳暦十年二月吉祥日 『資母村誌』 梅林寺
梅林寺は、出石藩主小出氏の時代に焼失したという。奥赤花道垣に在りき。深香山梅林寺と稱す。往古七堂伽藍其備せりと云ひ傳ふ。 享保十四年三月庄屋小西済左衛門愛宕権現再建の當時は加悦町西光寺の末寺なりしものゝ如し。(神社の項参観) 出石郡西國巡禮歌に 二十三番 深香山梅林寺 赤き花梅の林の深き香を めづる心に垂るゝあはれみ ![]() 若王寺へ抜けるか加悦町へ抜けるかの分かれ道。庚申塚が右手に見えるが、道がどこにあるのやら、ここに車を留めていいものやら、 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 奥赤の主な歴史記録奥赤の伝説『但東町の民話と伝説』奥赤の隧道(奥赤)
「よいしょ、よいしょ。」 かけ声をかけながら登ってきた多助は、峠の上につくと、てんびんのまん中に棒を当てひと休みしました。 後ろからついてきた多助の嫁も、背中の稲の束を道端の切りかぶに当てて、腰をおろし「ふ-。」と息をつきました。 今日は稲刈りで、大谷の田んぼの稲を、家のある堂垣側の谷へ運んでいるのです。 奥赤の、大谷と、堂垣の間は小さな山で、へだてられていました。 小さな山ですが、急な坂道の峠ですので物を運ぶのは、とてもなんぎな仕事です。 「この山の下を掘って近道を作ったら、楽でいいのになあ。」 多助はつぶやくように言いました。 「又、そんな夢のようなことを言いなる。山に穴を掘るなんて、そんな大仕事はできれしません。」 「やっぱり無理かなあ。」 あきらめなしょうないなあ。と思いました。 そんなある日、こじきのようなかっこうで男が奥赤にやってきました。 「わしは、高竜寺の広平というちんだが、ここに隧道を掘んなるそうですなあ。」 「いやいや、掘りたいんだけど、大仕事で、手が出んのですわ。」 と居合わせた多助か答えました。 「わしが、その抜け道を掘ってみまひょう。」と言うのです。 多助は、大喜びで、 「え、ほんとにやっとくれるか。わしらも手伝いますで。お願いします。」と言いました。 でも、その広平をよく見ると、どうも、目が悪いようで、歩くにも杖でさぐりながら進んでいるのです。 「こんな、見えない人に、隧道が掘れるんかなあ。」 多助も、村の人も不安になりました。 早速広平が、その山に連れて行ってくれというので、多助が手を引いて、堂垣側から大谷へ、大谷から、堂垣へと何度も往復しました。 「こっちの谷川は、急なようですな。」 「ここの谷は、あっちより広いですな。」 多助には、どっちの谷川も同じ水音にしか聞こえませんが、広平には、違いがわかるようです。 耳を澄ませ、匂いを確めているようでした。 翌日から広平は、手くわ一本で穴を掘り始めました。それこそ手さぐりです。 「ほんとに隧道が掘れるんかなあ。」 村人は、半信半疑で様子を見ていましたが、毎日毎日続くくわの音、少しずつ深くなっていく穴の様子に、進んで掘り取った上を運び出す手助けをするようになりました。 女達も食事を運びました。 とうとう一年足らずで、隧道が完通しました。 多助夫婦は言うまでもなく、奥赤中が大喜びでした。 長さ十間(約二十米) 高さ六尺(約二米) 巾 三尺(約一米) 小さな隧道ですが、一人の盲人が、道具もない時、村人のために働いたのは、偉業といっていい。 と、但馬考に記されています。 奥赤の小字一覧『兵庫県小字名集Ⅱ但馬編』【奥赤】(おくあか) 畑ヶ田(はたけだ)、セイヶ窪(せいがくぼ)、下岡(しもおか)、添谷(そえだに)、根郡(ねごうり)、家ノ下(いえのした)、ズヘガサカ(ずえがさか)、水ノ手(みずのて)、梅ヶ坂(うめがさか)、堂ノ前(どうのまえ)、高尾(たかお)、田中(たなか)、岡ノ田(おかのた)、マゼリ垣(まぜりがき)、大峠登(おおとうげのぼり)、ダイラ(だいら)、石田(いしだ)、神子谷(みこだに)、水越(みずこし)、成田(なるだ)、小峠(ことうげ)、丸山(まるやま)、猿貝(さるがい)、深山口(みやまぐち)、上ノ山(うえのやま)、迎田(むかえだ)、楮谷(かごだに)、大谷(おおたに)、殿畑(とのばたけ)、志水柿(しみずがき)、中貝知(なかがいち)、下紺屋(しもこんや)、熊谷(くまだに)、笠松(かさまつ)、出合(であい)、大峠(おおとうげ)、スサットウ(すさっとう)、椿谷(つばきだに)、熊谷(くまだに) 【菅谷】(すげたに) 中谷(なかだに)、ソトハ谷(そとわだに)、イガミ谷(いがみだに)、小北(こぎた)、段ノ垣(だんのがき)、台ノ田(だいのた)、菅谷(すげだに)、隠谷(かくれだに)、李(すもも)、籠谷(かごだに) 【谷地】(たにぢ) 広畑(ひろはた)、市ヶ森(いちがもり)、谷地(たにぢ)、與登(よと)、東(ひがし)、和田(わだ)、岡ノ堂(おかんどう)、栃谷(とちだに)、平谷(へいだに)、北(きた)、細谷(ほそだに)、上ノ垣(うえのかき) 【日場】(ひば) 梅原(うめばら)、主楼谷(しろだに)、奥山(おくやま)、寺岡(てらおか)、後ヶ谷(うしろがたに)、丸山(まるやま)、日場(ひば)、山根(やまね)、向地(むこうち)、鍛冶屋(かじや) 【主計】(かずえ) 太田(おおた)、早稲村(わせむら)、分田(ふんでん)、柿ヶ坪(かきがつぼ)、河合(かわい)、神谷(かみたに)、主計(かずえ)、主計北側(かずえきたがわ)、主計南側(かずえみなみがわ)、段ノ垣北側(だんのかききたがわ)、主楼谷東側(しろだにひがしがわ)、主楼谷西側(しろだににしがわ) 関連情報 |
資料編の索引
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| 【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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