丹後の地名 若狭版



東里(とうり)
兵庫県豊岡市但東町


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兵庫県豊岡市但東町東里

兵庫県出石郡但東町東里

東里の概要




《東里の概要》

太田川の南岸、東里ヶ岳(663・7メートル)北麓の谷間にある。
東里ヶ岳登山道が通る。県道2号から分岐する集落入口にこんな案内板がある。↓

東里ヶ岳の頂上付近には栗丹寺跡がある。かつて同寺への登拝路には丁材とよぶ標識が1町ごとに建てられていた。現在、五丁目・一五丁目・一七丁目・一八丁目のものが残る。土壌がよく杉・桧の生長が早く、一般の半分の年数で出荷ができ、また自然生(山芋)が有名とか。
東里村は、江戸期~明泊22年の村。但馬国出石郡のうち。山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛、同年から前野長康が領した。文禄4年出石藩領、寛文6年からは旗本(倉見)小出氏知行。明治22年資母村の大字となる。
東里は、明治22年~現在の大字名。はじめ資母村、昭和31年からは但東町の大字。平成17年より豊岡市の大字となる。

《東里の人口・世帯数》 39・16

《東里の主な社寺など》

東里ヶ岳
東里ヶ岳は豊岡市但東町にある。 山頂の北東側と南西側が開けていて、条件が良いと久美浜湾や天橋立が見るという。

下村神社

境内に案内板がある。
下村神社由緒
鎮座地  豊岡市但東町東里字嶋辻
御祭神  高霊下霊
 高皇産霊尊の末裔で、対馬国造下県直の一族であろう。津島国造は対馬縣(現・対馬島、長崎県対馬市)を支配いたとされ、国と同等に扱われたが、実際は県だったと考えられており、国造ではなく県主であったとされる。
国造本紀(先代旧事本紀)によると初代神武天皇の時代、高魂尊(高皇産霊神)の五世孫である建弥己己命を対馬縣主にしたことに始まるとされ、また、日本書紀の顕宗天皇三年の条には、「日の神が人に憑いて、阿閉臣事代に『磐座の田を以て、我が祖・高皇産霊に奉れ』と告げた。事代は直ちに奏上し、神の求めのままに四十四町を献った。対馬の下県直が、これをお祀りし仕えた」との記亨がある。
また一説には、聖武天皇の世に出石の主帳に任ぜられた漢の帰化人で光武帝の末裔である下村主東里が東里村によって祀られたとされる。
創立年不詳、明治三年に再建、明治三十八年上屋改築。
明治六年十月、村社に列せられる。
祭礼 十月上旬、


吉野神社由緒
鎮座地 豊岡市但東町東里字大谷の上
御祭神 広国押武金日天皇(第二十七代安閑天羽)
継体天皇の第一皇子、勾大兄広国押武金日天皇と称す。幼少の時期から器量に優れ、武威にたけ、寛容な性格であったと伝えられる。継体天皇二十五年(五百三十一年)即位。都を勾金橋宮・(現在の奈良県橿原市曲川町か)に遷す。安閑天皇の治世の出来事として関東から九州までの屯倉が大量に設置されたが、これは磐井の反乱に加勢して敗れた地方豪族が許しを乞うために献上したものだと考えられている。このことによって、皇室財政は充実。内政・外交の立て直しを助けた。安閑天皇四年(五百三十五年)崩御。
神社の創立は不詳であるが、宝暦十年(千七百六十年)再建されたと伝えられる。
かっては東里ヶ岳の九合目、桜楽山栗丹寺廃寺跡直上の土地高燥にして北方の眺望に富んだ場所に鎮座していたが、昭和四十一年、山麓の現鎮座地に遷座し、現在に至る。
祭礼 八月下旬 岳祭

『資母村誌』
下村神社
東里村字島の辻村社祭神高靈下神下縣直、高魂尊裔にして天日神命流なり津島縣直家を云ふ顕宗帝三年四月紀に曰
神著人、謂阿閉臣事代曰、以磐余田、獻我祖高皇産靈、事代便奏、依神乞、獻田十四町云々、曰
神天照太神を指し奉りしにあらずして天神本紀に天日神命封島主等祖とある天日神命にして下縣直の祖神なり。『姓氏家系辞書』
 津島縣直橿原朝、高魂尊五世孫建彌巳己命改爲直。『国造本紀』
 封島高御魂神社並に大和高御魂神社は神祇志料に依り下縣直に関係あり。
 以上の文により高皇産靈尊の裔下縣直の一族なるべし。(祭神により考證)
一説聖武帝の世下村主東里を出石主帳とす東里下村主を祀る。『但馬古事記』
 下村主、漢の歸化人光武帝の裔河内安宿郡資母郷を根據とす養老四年六月紀に河内國若江郡人正八位上河内午人刀子作廣麻呂、改賜下村主姓、又天平六年十二月紀に外從五位下鳥安麻呂、賜下村主姓など見ゆるは此族也
姓氏録左京及右京諸蕃に收む前者は下村主後漢光武帝七世孫慎近王之後也と後者は漢光武帝七世孫愼近王後也と註す。
下村主東里此地に住す故に名く、下村主神社下村主命を祀、天日槍十二世孫日生下命、下向地也故に右日生下神社と名く。『但馬世繼記』
城崎村日生下氏あり天日槍後背なりと。『但馬考』
以上の説によれば資母郷の發生地にして、本郷之紀元は此地に起る如しされど、但馬故事記但馬世繼記共に後世の僞作なれば如何にや、参考として記し後考を要す。
創立年不詳 明治三年再建明治三十八年上屋改築、明治六年十月村社格加列。
神體 二重箱納立像一體
 外に三體あり中央は下村神左右は春日諏訪神なりとの口碑あれど佛體なる事確實なり明治三年佐治氏久美濱縣の命に依り神社改の際一旦引上げしを村民縣に願で下渡を受けしと
一札 奉遷宮下村大明神明治三年庚午九月五日市里村庄屋筬部源左術門日向村庄屋野村茂左衛門
丹後久美濱大宮司佐治從五位藤原朝臣正通
一高麗狗一對木制(鎌倉時代のものか)
境内坪数 二百七十八坪
氏子數 五十五戸
祭日 十月八日
 古文書「おとふみ」と稱し古箱入の文書ありしも大正十三年清水伊右衛門火災に失す文意は神田より收めし米を以て祭日に供物をなす元方を記せしものなり(上下)かじや株、大さこ株、下中株、清水株、向垣株、さこ株等なり株名は今も字及び姓氏に存す。
宮田預二石三斗ありしも明治二十三年三月十八日賣却す。


蔵王権現吉野神社


集落の一番奥に案内板がある。
『資母村誌』
吉野神社  東里村字大谷の上
祭神 廣國押武金日天皇。
 第二十七代安閑天皇、勾大兄廣國押武金日天皇と稱す継体天皇第一の皇子御母は日下姫命、繼體天皇二十五年即位都を大和高市郡金橋宮に遷し在位二年にして崩ず壽七十河内古市郡高屋丘陵に葬る寛大にして頗る人君の量あり。『大日本史』
創立年不詳 寶暦十年八月再建。
神體 衣冠束帯白馬に跨り右手に鉾左手に玉を持す
石製高麗狗破損大小各一個あり
一札 奉建立仕寶暦十年辰八月十四日
一札 奉建立仕蔵王権現宮地、寳暦十年辰八月十五日
一札 奉造榮御神殿蔵王権現守護攸寳暦十庚辰九月吉祥日國家安全萬民豊饒
一札 蔵王大権現守護寶暦十庚辰歳九月吉祥日
一札 奉修臓王権現柴燈護摩供當社安全攸
 安永三甲子年七月吉祥日但州出石城修験持徳院持寶院寶勝院福壽院大寶院利
性院大龍院繁昌院智燈院本願大善院法中
坪數 七十六坪
 當社は東里ヶ岳之九合目に在り、土地高燥北方の眺望に富み、且往昔櫻樂山栗丹寺跡の直上にあり。

栗丹廃寺

『資母村誌』
栗丹寺
 栗丹寺の宗派詳ならす。天台眞言二者の中なるべしと信ぜらる。山號は櫻楽山と云ふ。其遺跡は東里岳頂に存す。創建、沿革、廢絶の理由等一切知るべき資料を得ず。但本尊薬師如来の座像一躯現存す。日向薬師堂に奉祀せるもの即是なり。像の高さ二尺五寸。尊容敬すべし。惠心僧郡の作なりと稱す。
 (註)惠心僧都は寛仁二年(皇紀一六七七年)六月十日寂
日向村に左記二通の古文書あり。
     一
 但州出石郡太田庄日向村薬師如来座像御長二尺五寸御座候此度再興御登り目利
仕侯處無紛惠心僧都一刀三禮御作也年来七百年之余其帝一條之院卜號ス當代至
以禮物所望仕時者金子廿兩許ニ而茂難請候卜目利仍而如件
  元禄四年壬申五月十五日
      清水美濃守康信子息佛師之祖從定朝六代
      法印運慶子孫
        七條大佛師法橋 福田康圓
   日向村役人御中
     二
 但州出石郡太田庄東里日向村櫻樂山栗丹寺薬師如来者惠心僧都曾寄逸想所彫造也予偶到於蔵雲寺之次得瞻禮矣妙相端厳不可以言宣叨賦一偈表隨喜之萬乙云
  瑠璃善逝鈔顔容  坐斷但陰櫻樂峯
  大地括来無不樂  慈風偃艸縁重々
   延享改元甲子歳四月初八日
      覚?杜多 見道宗善焚香拝書
藥師如来の外十二神将の像あるも、多年風雨に曝したるにや腐朽甚しく、又殘存するもの二三に過ぎず。此外遺物として丁杙四本あり。傳へ曰ふ往古日向字千本ヶ端より山上栗丹寺に到る途上、一丁目毎に一本の杙を立てゝ距離を示したるものなりと。現存のものは、五丁、十五丁、十七丁と十八丁なり。我資母村史蹟遺物中の珍品たると共に、當寺が名刹たりしを語るものなり。(古蹟參照)
 土屋詮教著「日本宗放史」に平安朝時代創建の寺は薬師如来を本尊となすもの多し


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社)
『但東町誌』

その他たくさん



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