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後(うしろ)
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後の概要《後の概要》 久畑から出石川の上流側、小坂峠側へ入った最初の集落。正保(1644-48)頃成立の国絵図に村名がみえる。 後村は、江戸期~明治22年の村。但馬国出石郡のうち。山名氏政滅亡後天正13年まで青木勘兵衛、同年から前野長康が領した。文禄4年からは出石藩領。明治22年高橋村の大字となる。 後は、明治22年~現在の大字名。はじめ高橋村、昭和31年からは但東町の大字。平成17(2005)年より豊岡市の大字となる。 《後の人口・世帯数》 25・11 《後の主な社寺など》 ![]() 昭和60年圃場整備中に後天神遺跡から縄文初期の楕円文土器片・石鏃・石匙などが出土し、古墳時代の竪穴式住居跡も完全な形で発見されたという。 ![]() ![]() 右の山の上に鎮座、下から見えるが、行かなかった。かつて霊代が盗難にあい、このとき下総国にあるとの託宣があり、これを再度勧請したと伝える。享保3年(1718)と弘化2年(1845)に本殿を再建(兵庫県神社誌)、享和3年(1803)には神像・観音像を再造した。同社境内は中世の城跡と伝え、古鏡・鉛玉などが発掘されている。 《交通》 ![]() 《産業》 《姓氏・人物》 後の主な歴史記録後の伝説![]() 後の小字一覧関連情報![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『兵庫県の地名Ⅰ』(平凡社) 『但東町誌』 その他たくさん |
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