五十谷(いさだに)
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福井県三方郡美浜町五十谷 福井県三方郡耳村五十谷 |
五十谷の概要《五十谷の概要》 耳川の中流右岸、御岳山南西麓の小さい尾根のすそに位置する。寄戸・安江と合わせて「小三ケ」といわれる。伊佐谷とも書き(若狭国志)。地元では「いさだん」と呼びならわしている。 近世の五十谷村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。「雲浜鑑」によれば、戸数7・人口35。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年耳村の大字となる。 近代の五十谷は、明治22年~現在の大字名。はじめ耳村、昭和29年からは美浜町の大字。明治24年の幅員は東西1町・南北1町、戸数6、人口は男15 ・ 女15。 《五十谷の人口・世帯数》 26・7 《五十谷の主な社寺など》 八幡神社 『美浜町誌』 八幡神社 鎮座地…五十谷一一-一。現祭神…応神天皇。例祭日…三月十五日。旧社格…無社格。氏子数…二十戸(平成五年)。「福井県神社明細帳」に明治四四年十二月十一日に弥美神社へ合祀され、昭和二十年以降に現在地に還御した。 曹洞宗大澤寺 曹洞宗大沢寺、廃寺と記した文書もあるものの、寄戸龍源院の住職の隠居寺であったという。延宝六年(1678)以前の創建と伝え、「若州管内社寺由緒記」に「古来より御座候 由緒相知不申候」とある。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 五十谷の主な歴史記録五十谷の伝説五十谷の小字一覧五十谷 長谷出 道ノ下 樋掛 山越 井上 札松 大谷口 深丸 原 大宝谷 向山 深イ谷 道頭山 飛川 白坂 小坂 北ノ山 岩柄 柴原 水上 大谷 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『三方郡誌』 『美浜町誌』(各巻) その他たくさん |
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