丹後の地名 若狭版

若狭

金山(かなやま)
福井県三方郡美浜町金山


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福井県三方郡美浜町金山

福井県三方郡南西郷村金山

金山の概要




《金山の概要》
国道27号、舞鶴の方から行けば、郷市の手前、国道両側にある。字金山・別所・久保からなる。矢筈山の北麓に位置する。地名は矢筈山の支山、金向山(かねこやま)から由来し、かつて金糞らしきものが畑の中から出土したことがある。金属神は祀られてはいない。金山とは鉱山のことであるし金子、別所という地名から考えれば、やはり金属と関係がある地であろう、室毘古王の本業の地であるかも…
金向山はまたカレゴとも通称し、往古大地震があり、鰈が5匹山上に打ちあげられ、一本松ともカラカサ松とも呼ばれる老松の枝にささったとの伝説がある。山頂には御盤岩と呼ばれる巨石があり不動明王像を祀る。地元では金山をサヤジと別称するが、「若狭郡県志」に「有西野寺」とあるところから寺があったとの説もある。
中世の金山は、戦国期に見える地名。応安4年(1371)4月に某代官が毛山大夫に長谷寺五所大明神楽頭田分として「金山郷」年貢のうち1石を与えているが(江村伊平治家文書)この頃郷と称されたかどうかは疑問とされるが、当地に気山大夫の楽頭田があったことが知られる。大永2年(1522)3月の長泉庵坪付に「金山」の地4反余が見えるが(宇波西神社文書)、戦国期の耳西郷惣田数銭帳には別所村のうちに金山分1町180歩があり、別所村に含まれていたものと考えられる。弘治2年(1556)6月の明通寺鐘鋳勧進に「かな山」は37文を出銭している。「国吉籠城記」には金山の城主を粟屋美作・大西加兵衛とする。また,地内別所には元亀元年(1570)4月織田信長越前出兵の折、徳川家康が陣を取ったと伝える地がある。
近世の金山村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。江戸前期に新金山村を分村したと思われる。「雲浜鑑」では金山村と新金山村が分けて記され、金山村の戸数46 ・ 人口234。新金山村がどこにあたるかははっきりしないが、別所・久保が比定され、寛文5年(1665)に完成した荒井用水による新田開発でできた村と考えられる。
宇波西神社の例祭には4年目ごとに王の舞を奉納する。別所と久保の中間に辻堂の元と呼ばれる場所があり,榎の古本が1本生えている。エイザンさんとも通称していることから比叡山の遥拝所とされている。昭和12年頃までは,郷市の獅子舞の行列はここでひと息いれ、金山の日吉神社のオハゲがたおされるのを確認してから宇波西神社へ向かった。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年西郷村の大字となる。
近代の金山は、明治22年~現在の大字名。はじめ西郷村、明治31年南西郷村、昭和29年からは美浜町の大字。明治24年の幅員は東西9町余・南北7町余、戸数74、人口は男227 ・ 女208、学校1。


《金山の人口・世帯数》 400・111


《金山の主な社寺など》

竜沢寺遺跡
竜沢寺の境内、竜沢寺の西側裏山、久々子湖東岸に面する台地上にある。縄文中期・弥生後期・古墳時代・奈良時代にわたる集落跡。遺跡の範囲は南北約70メートル、東西約100メートルで、竪穴住居跡などの遺構は未発見。畑の耕作によって多量の土器片が散布している。東北方に谷を隔てて弥生終末の口背湖遺跡がある。
『美浜町誌』
金山竜沢寺遺跡
竜沢寺遺跡は標高十二メートル内外の台地上に位置し、通称竜沢山にある。古くから遺物が表採されており、あたり一帯は起伏の少ないゆるやかな地形であり、久々子湖や水田を眼下に見下ろす環境にある。北側に隣接して口背湖遺跡が確認されているが、竜沢寺遺跡の場合は色々な遺物は発見されているが、考古学的な調査が行われたことがないため実態は不明である。図18の24から41の土器、資料図1の2から7の石器が表採された遺物である。土器は概ね口背湖と同じ時期のものとおもわれるが、石器は縄文時代に属すものがほとんどであり、縄文土器は表採された資料の中に一点だけ確認されている。



日吉神社

国道27号の南側、「別所」と書かれている方へ入った所。
日吉神社は八幡・神明・若王子・山神・稲荷・沖ノ神・愛宕を合祀する。「旧藩秘録」に「奥明神十一月八日、山ノ神正月九日、若王権現四月朔日、八幡八月十五日、右社ミキコクウ」とある。このうち沖ノ神は奥明神と同一の神と考えられ。田辺株によって12月8日夜田辺講(隠岐殿講)が営まれる。また小浜市矢代の手杵祭りによく似た異人殺しの伝承がある。「若州管内社寺由緒記」では同社の本尊を薬師如来とする。山王は「本尊阿弥陀如来古来より氏神也」、八幡についても「本尊阿弥陀如来」としている。同じく「若王寺 本尊大日如来」とあるのは若王子社のことで小字に若王原があり、若王寺跡をカイチョウ畠と通称する。
『美浜町誌』
日吉神社
鎮座地…金山二六-六。現祭神…国常立尊・大己貴尊・誉田別尊・伊弉諾尊・大日?貴命・厳鳥大神。例祭日は十月第三日曜日である。旧社格…無格社。氏子数は八十戸(平成五年)。滋賀県の日吉大社より勧請したものという。国常立尊・大己貴命以外の現祭神は明治の合祀による。


『三方郡誌』
日吉神社 金山に鎮座す。

八幡社。熊野神社。神明社。山神社。稻荷社。隱岐殿社〔もと沖神と稱す、海神を祀るか〕 共に金山鎮座、明治四十一年五月五日、日吉神社〔金山〕に合祀す。


曹洞宗湖岳山竜沢寺

立派な大寺院、俗に野寺(のでら)という。本尊は釈迦如来。もと三方湖畔湖岳島(こがしま)にあって宝応寺と称し、永享年中(1429-41)の草創と伝える。開山は藤井の向陽寺(現若狭町)五世の継陰宗隣。その後廃絶したが、豊臣秀吉の侍女が施主となって現在地に再興、竜沢寺と改めた。天正20年(1592)秀吉は当寺に禁制状を与えたという。なお侍女の戒名は放光院心室理性尼大姉だが、早瀬浦の生れといわれ、また浅井長政の女とも、秀吉の側室芳寿院の乳母ともいわれている。同年8月18日当寺に田地を寄進した氏名不詳の黒印状に「わかさのてらにて れうたくじまいる 京極さま御内くす」とあるが、これは心室理性尼のことであろう。度重なる火災で旧記類を失っている。「若狭郡県志」は末寺18ヵ寺と記し、この末寺数は明治初年まで変わらない。天正20年8月の秀吉の制札、秀吉の朱印状、秀吉・京極くすの座像を所蔵する。当寺は俗に野寺(のでら)、太閤寺とも呼び、金山の別称であるサヤジ(西野寺)は当寺に由来するともいう。向陽寺末。
『三方郡誌』
龍澤寺 曹洞宗。金山に在り、湖嶽山と號す、もと三方湖畔湖嶽島に在り、寶應寺と稱し、永享年中の草創にして、開山は僧継隱宗隣なり、其後廢悒したりしを、豊臣秀吉の侍女檀越となりて今の地に再興して、名を龍澤寺と改めたり。天正二十年八月、秀吉、制札を與ふ。侍女は早瀬の産なりと。沒して放光院心室理性尼大姉と云ふ、或は云ふ、侍女は淺井長政の女なりと。又云ふ、秀吉の妾芳壽院の乳母なりと寺に天正二十年八月の氏名不詳の黒印状を蔵す、田地と寺に附與する状なり、黒印の下に京極樣御内くすと著せり。これ恐くは心室理性尼ならんか。然らは京極氏に在りし者な。されど京極氏、亦詳ならず、屡祝融の災に罹り、舊記什寶を失ひ、往事亦知るべからず今、秀吉の木像を藏す寺地は久々子湖西、平野松林の内に在り、俗に野寺と稱す、若狭に於ける巨刹の一なり。明治の初年には末寺猶十八寺ありしが、多くは廢して、今僅に一ヶ寺なり。向陽寺末に屬す。


天正12年(1584)当時のままという山門、五七の桐の紋がついている。豊臣家の寺であったのであろう。桐紋は元々は皇室の紋章であった、秀吉ばかりでなく、いろんなヤツが付けている、大金と引き替えに手に入れたのであろうが、今は誰が自分の家紋にしても文句は言われない。内閣総理大臣・日本国政府・内閣府も政府の紋章として使用している。



曹洞宗金向山(白雲山)長谷寺

国道27号沿いにある。花翁宗栄の開基という。
『三方郡誌』
長谷寺。曹洞宗。金山に在りき。應安四年にその名見えたり。當時、何宗なりしか詳ならす。

《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


金山の主な歴史記録




金山の伝説






金山の小字一覧


金山  西野寺 野寺 中野 大門先 東中野 野寺先 硲向野 土禿 枝清水 森ノ上 腰巻 晩田 丸山 湯田 西下田 東下田 嵜広 街道土 野添 広田 松ノ下 小畑ケ 西川 金山先 坊ノ谷 広畑 下西山 大谷 蘭東 若王子原 合道口 出口 北ノ下 谷田 中田 鳥越 茶ノ木畑 小窪 浜宮 浜 八幡橋 萩沢 井根口 井根元 犬越 別所下 須先 萩原 原尻 金割 八幡前 別所口 流山 相生 赤坂 水分 的場 山神前 坊ノ谷 西山 奥ノ山 菅ノ谷 新ノ谷 流山 相生 愛宕 割谷 落シ 的場 金割 東原 八幡前

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『三方郡誌』
『美浜町誌』(各巻)
その他たくさん



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