丹後の地名 若狭版

若狭

新庄(しんじょ)
福井県三方郡美浜町新庄


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


福井県三方郡美浜町新庄

福井県三方郡耳村新庄

新庄の概要




《新庄の概要》
耳川上流域の広大な山間地で、南は滋賀県の今津町・マキノ町と接する。西・東・南・の三方、野坂岳・三国山・赤坂山とも標高900m級の山嶺で境する。集落は北流する耳川の上流の約6㎞にわたって7か所に点在する。巨大な関西電力嶺南変電所↓があるあたり。この下の道を南ヘ行くと滋賀県へ通じる。

中世の新荘は、室町期~戦国期に見える荘園名で、寛正4年(1463)閏6月に三方郡常神神社の大菩薩宝殿造立の棟札に板201間を「新庄」より出したとされているのが初見、応仁2年(1468)6月26日の御賀尾浦の十禅師宮棟札に「新庄」が板40間を出したとある。天文16年(1547)6月に長沢定次は沼田民部丞に「田代御屋敷之下」の田地8反を売却している、この田代は当地の小字に残っている。天文19年9月に沼田菊松は長沢重次から「耳庄新庄」内の田畠を買得して、武田信豊の安堵を受けているが、同年10月20日のその買得目録には長良・土屋敷・カミノ上・山神之本・キヒ河原・宮之前・中島丁・田之口・深田中宮前・奥之谷口・内力イトなどの小字とヨリツミ彦三郎の名が見える。また「耳庄新庄」とあることから、地名は耳荘から派生した新荘であったことに由来することが確かめられる。弘治2年(1556)6月の明通寺鐘鋳勧進算用状に「百五文 新庄」とある。これらの地の売買双方の土豪に関連して「国吉籠城記」は永禄6年(1563)に佐柿国吉城に籠城した新庄村の武士として山本豊後・沼田太郎左衛門・麻生半右衛門・長沢右馬丞を挙げている。
新庄を経由して近江へ抜ける交易路があったことは、天正9年(1581)9月に信重なる人物が若狭からの塩荷は新荘馬と同様に近江今津にも仰付けることを今津地下人に認めていることから知られ、天正17年の遠敷郡熊川年寄中覚書は、その年代をにわかに信じ難いが、「元吹川ハ三方郡新庄より北近江・越前へ之通路」があるとしている。
近世の新庄村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。「若狭郡県志」には当村の小村として合馬場・田代・奥村・寄積・浅瀬・松屋・粟柄などが書き上げられている。「雲浜鑑」では文化4年(1807)の戸数200、人口958人で耳庄組では最も大きな村であった。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年耳村の大字となる。
近代の新庄は、明治22年~現在の大字名。はじめ耳村、昭和29年からは美浜町の大字。明治24年の幅員は東西30町・南北1里18町、戸数193、人口は男515・女456、学校1。


《新庄の人口・世帯数》 568・202


《新庄の主な社寺など》

大日原遺跡
浅ヶ瀬の西の小字大日(だいにち)とよぶ平地に弥生時代の大日原(だいにちはら)遺跡がある。

日吉神社
9月1日の八朔祭は木製の男根をもった天狗が暴れまわる奇祭として知られる。
『美浜町誌』
日吉神社
鎮座地…新庄六五-五二。現祭神…大山咋命。例祭日…九月一日。旧社格…無格社。氏子数…二一〇戸(平成五年)。「福井県神社明細帳」によると仁明天皇の御宇嘉祥元年(八四八)に、山神字瀧ヶ渓に祀った所、その後四二九年を経て、建治二年(一二七六)十一月朔日に今の地に遷座したと伝えている。


『三方郡誌』
四郎社 新庄日吉神社の傍に鎮座す。傳云ふ、井崎城主熊谷直之の子四郎、新庄村の領主某に害せらる、その靈屡祟をなす、領主爲に社を此に建てゝその霊を祭れり


八幡神社

『美浜町誌』
八幡神社
鎮座地…新庄五〇-一〇(寄積)。現祭神…応神天皇。例祭日…九月十五日。旧格社…無格社。氏子数…三一戸(平成五年)。由緒不詳。



広峰神社

『美浜町誌』
広嶺神社
鎮座地…新庄六五-二九(田代)。現祭神…素盞嗚尊。例祭日…七月十四日。旧社格…無格社。氏子数…五三戸(平成五年)。由緒不詳。



曹洞宗松月寺

『三方郡誌』
松月寺 曹洞宗。新庄字田代に在り。慶長元年八月八日の創立なり。當時同区杉村天王と稱する山上に一宇あり、松月庵と號す、時の堂守鏡室智覚開基となり、徳賞寺十一世鳳山義舟を請し法地に開闢し、爾後松月寺と改む、後年堂宇頽敗したれば現地に再建す。徳賞寺末なり



《交通》
新庄道
新庄道は河原市村から耳川に沿って南進し、三国山(876・3メートル)西方の粟柄(あわがら)峠を越え高島郡牧野村へ通じる。この街道は明治20年まで牛馬によって木炭や海産物を近畿地方へ運搬する要路であった。小浜藩主酒井氏は粟柄に関所を設け、高木伝右衛門に80石の扶持を授け代々関守をさせた。明治以後民家は減り、大正期には無住となったという。

《産業》


《姓氏・人物》


新庄の主な歴史記録



新庄の伝説・民俗

『新わかさ探訪』
新庄の八朔祭り (「若狭のふれあい」第59号掲載(平成元年7月31日発行)
*天狗が女性を追いかけ 豊作と子孫繁栄を願う*
 美浜町新庄の日吉神社の例祭は、毎年9月1日に行われ、八朔祭りと呼ばれています。この祭りの見どころは、天狗の面をつけた若者が、男性のシンボルに似せた木形を持って、見物の女性を追いがけ回すところ。「県内で一番エッチな祭り」として定評があります。
 八朔とは、陰暦8月朔日(1日)のこと。県内では現在、1ヵ月遅れの9月1日を八朔祭りの日に当てているところが多いようです。この祭りは、台風の季節を前に被害がないことを願い、その年の豊作を祈るもの。稲の開花期に大風が吹くと、花粉が吹き飛ばされて交配せず、実りが悪くなります。台風で大雨が降って田が水浸しになることも。そうした被害を、私たちの祖先は神の怒りとして恐れ、稲の花が咲く前に八朔祭りや風祭り、秋祭りが各地で行われてきました。
 福井県内では早場米が奨励されるようになって、祭りの9月1日には、早生の稲刈りが終わっているところも多く、その本来の意味はやや薄れてきていますが、新庄の八朔祭りの暴れ天狗は、豊作や子孫繁栄を願う陽気で大らかな風習。地区の若者が代々、この役を引き継いでいます。
 当日は、お神酒6斗(約108リットル)入りの朱塗りの大角樽が、「ことしや豊年 穂に穂がさいて 道のチグサも米がなる」と八朔音頭を歌う男たちにかつがれて、新庄地区の中心部にある日吉神社に運び込みまれます。
 このお神酒奉納の露払いに、天狗が現れて集落内を駆け回ります。天狗の面を着けた地区の若者2人は、それぞれ赤と黒の衣装をまとい、男性のシンボルに似せた長さ60㎝、太さ10㎝くらいの木の棒を隠し持って、見物の女性を追いかけます。天狗が近づくたびに、女性たちは恥ずかしがって逃げますが、この俸で突つかれると「良い子が生まれる」という言い伝えがあって、その道筋には陽気な笑い声が上がります。この風習には、子孫繁栄とともに、稲の花がよく交配して豊作になるようにという願いが込められていろとのこと。
 昔から八朔は、農作業の一区切りとして仕事を休み、思う存分、祭りに浮かれる日たったようです。それがこのあとに続く忙しい収穫期を乗り切るバネになったのではないでしょうか。


『新わかさ探訪』
いにしえの道粟柄越 若狭のふれあい第93号掲載(平成7年12月27日発行)
*県境の大草原をまたぐ 古代からの交通路-
 美浜町新庄の一番奥に松屋(まつや)という集落があり、道をさらに奥へ進むと、滋賀県との県境へと通じています。車が行き交うこの道とは別に、新庄から滋賀県高島市マキノ町に至る、古代に設けられた山道が今も残っています。
 この「粟柄越(あわがらごえ)」と呼ばれる古道は、滋賀との県境にある赤坂山(824m)の山腹を北西から南東方向へ縦断しており、現在は山歩きや送電線巡視のルートとして使われているだけですが、古代においては北陸道の鞆結(ともゆい)駅(マキノ町)と若狭の弥美駅(美浜町河原市付近)とを結ぶ重要な交通路であったと推定されています。
 この道が単なる登山道でないことは、尾根筋などで道が人の背丈ほどに深くU字形に掘り込まれていることからもうががえます。新庄側からの登りでは、途中2ヵ所で沢を渡るように道がつけられていて、人や馬が水を飲み休憩した往時の様子がしのばれます。また、県境の粟柄峠には、高さ約2・5mの大岩の一部をくりぬいて、60mほどの石像(3面6手の馬頭観音像)が安置されています。馬頭観音は、馬の保護神で江戸時代に広く信仰されました。
 粟柄の集落(「渓流の里」がある松屋からさらに奥へ入った所)には、明治の初めころまで関所があって、通行人を取り締まりました。明治維新の廃藩置県とともに関所は廃止され、鉄道の開通で、粟柄越は1千年以上続いた輸送路としての役目を終えました。関所周辺には、明治の終わりごろまで数軒の家がありましたが、今は道沿いに「三界萬霊等」と粟柄関所跡・粟柄村跡を示す石碑があるだけで、人家のあったところは杉林になっています。
 新庄は、かつて薪炭の産地として知られ、村の人たちは競って質の良い炭を焼きました。その「若新」(若狭新庄の略)の商標をつけた木炭は評判が良く、滋賀県側から炭問屋が、由中の炭焼き小屋まで粟柄越で買い付けにきたといいます。
 新庄では、この歴史ある道を若い人たちに伝えていきたいと、例年、地区の行事として赤坂山登山を行っています。粟柄越のコースは、最初しばらく杉林のやや急な傾斜を登りますが、あとは尾根筋の比較的緩やかな道になります。粟柄峠までは歩き始めて約1時間半。県境の稜線には、クマザサやススキが茂る雄大な大草原が広がり、粟柄峠から尾根伝いに10分ほどで行ける赤坂山の山頂からは、琵琶湖や日本海を望むことができます。


『美浜町誌』
馬頭観音と粟柄路
 新庄(81)、寄戸(76)、野口(88)に「馬頭観音」と刻まれた石造物が確認される。馬頭観音本体の像を刻んだ例は粟柄峠に確認できる。これらはすべて耳川洽いで、それ以外の地域では目に触れなかったものである。新庄の例では、通行人が馬を休めたところであるとか、倒れた馬を処分したところなどの伝承がある。
 かつて耳川沿いは河原市を起点として、新庄から粟柄峠を越して滋賀県にいたる交通の要路であった。
『三方郡誌』には、
河原市より耳川に沿ふて遡り、大字新庄字松谷に至る、延長一里三十町、優に車馬を通すべし。松谷より更に山路を通して滋賀県高島郡に通する坂路あり、粟柄峠と袮す。高島郡西庄村牧野に下り、海津及今津に到るべし。明治二十年若・越二州車道の開鑿さるヽまでは、牛馬を使役して盛んに木炭の運搬をなし、又早瀬及ひ付近の貨物就中四十物〔海産物 肥料〕を主として近畿地方へ輸出する要路たりき
とある。一般に馬頭観音は、馬持ちなどが馬の供養のために、交通の難所や馬捨場などに建てることが多い。耳川沿いに特徴的に見られる馬頭観音の石造物は、ほぼ間違いなくこの地域がかつて重要な交通路であったことと関係しているとみて良いであろう。




新庄の小字一覧


新庄  日ノ苦良 寺谷 奧寺谷 大林 サヤ谷 千原 岩谷 曲り谷 岩谷口 蛇木ケ谷 蛇木ケ谷口 渕ノ本 鮒谷口 鮒谷 奥鮒谷 芋ケ谷 細田 向細田 川向 奥村 下所 脊戸ノ谷 向大道 藤助谷口 平岩 赤米原口 尾茂田 谷田 清水ノ本 抜ケ谷 抜ケ谷口 平畑 別当口 小谷口 葛枝坂 道ノ上 奥道亦 道亦口 道亦 窪瀬 木菲河原 河原 耳谷口 山ノ神 アマゴ田 奧谷口 長四郎ノ上 内街道 八幡前 寄積 向河原 太上皇元 榎谷口 坊田 奧ノ平 焼岩 井口 黒丸 稲ケ谷 坂ノ下 寺ノ下 街道町 弐反田 徳源 天王 杉村 峠 上街道 弥六街道 長羅 岸名 馬場 カイ尻 堂ノクボ ホウガンボウ 尾花 仕入 城海道 梨木洞 女児口 曲り渕 火打石 下馬街道 馬街道 森ノ上 口ワラジ 中ワラジ ワラジ 北狼谷奧 北狼谷中 北狼谷口 北狼谷 北狼谷下 道下 下中埜 中埜山越 上中埜 新未中埜 川端 渕ノ上 下木原 向埜 清水山 杉ケ平 狼谷口 狼谷 南狼谷 南狼谷口 南狼谷奧 大谷原 大谷 上古屋 古屋 タモノ木谷 木原 堂田 矢ノ橋 坂月+客(サカビチヤ) 中嶌埜 南白砂 口山田 白砂 大水口 山田 奥山田 奥六郎小屋 六郎小屋 南六郎小屋 アリケリ 下アリケリ 炭焼街道 上尻振 下尻振 尻振 砂子田 チヨシロ カラ竹 肚骨 百町 クツカケ 川坂 門近谷 又谷 又谷山越 度幸谷 奥滝ケ谷 口滝ケ谷 大湯 中大湯 下大湯 軸谷 奥湯女 湯女(ユウメ) 奥クニヤ谷 国矢谷 岩原 牛カイバ 上関屋 三反田 上屋敷 関屋 中関屋 小麦渕 三度井口 高野本 森ノ前 森ノ腰 崩谷 下崩谷 三度 鴛尾口 十郎谷 奥十郎谷 乳母ケ懷 下坂 ワキノ谷口 古坂 鳥越 上鴛尾 小屋谷 鴛尾 城山 狼坂 高取街道 ホラ尻 宮谷口 吉原 上吉原 宮ノ上 白崩 家ノ腰 辻堂ノ元 コヽノ首 足谷口 足谷 園屋敷 奥園屋敷 北ホトロ原 ホトロ原 棚 下ホトロ原 馬助谷 大子 水上 橋ノ詰 本屋敷 一ノ谷 焼ノ尾 奥坂ノ下 サンナメ 丸岡 能登又 前坂 粟柄 番所 大岩 北野原 下り藤 太鼓谷 女児谷 向谷 小谷 小別当 奥藤介谷 奥宮谷 奥峠谷 渕ノ頭 光明寺 セドノ谷 赤部原 奥抜谷 三ッ又 奥耳谷 八幡ノ上 向小谷 向山 道角 ゲザット 細谷 ナラノ谷 マトノ谷 マツオ ナメリ石 コツマキ 三本桂 季谷 ツル原 ハサゼンマイ イモ原 西雲谷 コウモリ 滝谷 クチナシ谷 コウラ アラ谷 下小谷 庄部谷 佐坂尻 奥黒丸 片山 庄ム山 ムバケ谷 奥崩谷 宮谷 ソゴノ上 滝谷洞 奥足谷 松屋大洞 ハツガハナ 深谷 黒谷 ?谷 ヲリト ウツロ谷 湯ノ花 割谷 石庭岳 粟柄谷 赤岩 奥一ノ谷 白谷 奥能登又 西丸岡 シヲジ 棚ノ下 吉原口 奥ヲシ尾 大日 小塩 下向山

関連情報





資料編のトップへ
丹後の地名へ


資料編の索引

50音順


若狭・越前
    市町別
 
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市

丹後・丹波
 市町別
 
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市




【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『三方郡誌』
『美浜町誌』(各巻)
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2021 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved