安江(やすえ)
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福井県三方郡美浜町安江 福井県三方郡耳村安江 |
安江の概要《安江の概要》 耳川の中流右岸、御岳山から南にのびる尾根のすそに位置する。五十谷・寄戸とあわせて「小三ヶ」と呼ばれる。永禄6年朝倉勢が若狭を攻めたとき、国吉城に籠城した地侍の中に「野末村に戸島角左エ門」とあるが、この野末村が当地のことという。 近世の安江村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。「雲浜鑑」によれば、戸数4・人口16。承応2年(1653)の久々子問屋・馬宿駄賃米一件書留によれば、三方郡と敦賀郡の馬方の駄賃米のことで争いがあった。この対決に、敦賀郡の百姓30人が出たが三方郡からは16人の者がおしかけ、その中に「安江 五右衛門」の名がみえる。 明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年耳村の大字となる。 近代の安江は、明治22年~現在の大字名。はじめ耳村、昭和29年からは美浜町の大字。明治24年の幅員は東西1町・南北1町、戸数6、人口は男29・女18。 《安江の人口・世帯数》 11・6 《安江の主な社寺など》 三島神社 この奥のようだが、フェンスが張ってある。 『美浜町誌』 三島神社 鎮座地…安江三-一。現祭神…大山積命。例祭日…三月九日。旧社格…無社格。氏子数:二十戸(平成五年)。「福井県神社明細帳」に明治四四年十二月十一日弥美神社に合祀したとある。昭和二十年以降に現在地へ還御した。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 安江の主な歴史記録安江の伝説安江の小字一覧安江 森元 宮ノ下 宮元 内町 栗木沢 早稲屋 松井 井上 黒ノ下 橋詰 鳥ノ上 関連情報 |
資料編のトップへ 丹後の地名へ 資料編の索引
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『三方郡誌』 『美浜町誌』(各巻) その他たくさん |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Link Free Copyright © 2021 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com) All Rights Reserved |