小浜飛鳥(あすか)
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福井県小浜市小浜飛鳥 福井県遠敷郡小浜町飛鳥 |
小浜飛鳥の概要《小浜飛鳥の概要》 市街地の一番西部にある。西は青井に接する。町並みはほぼ南北に走り、車が入りにくい小路が多い。旧城下にあたる小浜24区の各町名はいずれも有名神社名から名付けたといわれ、飛鳥は奈良飛鳥坐神社にちなんだものかという。 近代の飛鳥町は、明治7~22年の町名。小浜町のうち。明治7年区割改定により青井村の一部と柳町の一部が合併して成立した。合併時の戸数120、明治19年の戸数85、人口386。同22年小浜町の大字となる。 近代の飛鳥は、明治22年~現在の大字名。小浜を冠称する。はじめ小浜町、昭和26年からは小浜市の大字。八幡神社祭礼放生会には大正3年から舞踏山車を出しているが、当初は芸妓の見習いや舞妓などが舞踏を披露したもので、現在は子供の舞踏に変わっているものの町の特色をあらわす出し物であるといわれる。 《小浜飛鳥の人口・世帯数》 109・45 《小浜飛鳥の主な社寺など》 時宗常福寺 『遠敷郡誌』 常福寺 時宗遊行派にして同所に在り、本尊は阿彌陀如来にして境内佛堂に地蔵堂あり、永峰五年赤井山城寺創建と傳ふ。 『小浜町誌』 常福寺 小濱町飛鳥区ニアリ。時宗遊行派ニシテ、相州鎌倉郡藤澤驛清浄光寺ノ末派ナリ。相傳フ、天正十一年開山彌阿彌時衆ニシテ、一遍上人ノ流義ヲ汲ムト。 時宗霊迎山称念寺 常福寺のすぐ南にあり、飛鳥寺と表札にあるが、ここが称念寺であろうと思われる。 『遠敷郡誌』 稱念寺 時宗國阿派にして同所に在り、康應元年三月國阿の創建と傳ふ、境内佛堂に開山堂あり。 『小浜町誌』 稱念寺 小濱町飛鳥区常福寺ノ南隣ニ在リ。霊迎山ト号ス。應永十二年之ヲ創建ス。開山ヲ其阿彌ト曰フ。時衆ニシテ、洛東霊鷲山正法寺ノ流義ナリ。故ニ山号ニ霊字ヲ用ウ。 庚申堂 案内板がある。 庚申堂縁記 このお堂の起源に慶安二年(一六四九年)若狭小浜藩の重臣都筑外記の内室(酒井忠勝の娘)が、子息秀久の武運長久と無病息災を祈願して、それまで守り神として信仰されていた御本尊を寄進されると共に、や堂も建立されたのがその始まりである。 庚申の御本尊に「青面会剛」で、古来より庚申の日の夜は、眠むれば人身に住んていると云われる「三尸(さんし)の虫」が、その人の臓腑を食べつくし、寝ずして供養をする人はその難から逃がれることができるとの伝えあり故に「寿命の神」と云われる所以である。 なお、この行事を庚申待ちと称し、昔は善男善女で大いに賑わったものである。 昭和五十四年八月 庚申堂世話人会 三丁まち 常福寺などのある通りの一つ東の通りは「三丁まち」と称される遊郭街であった。現在も往時をしのばせる格子戸の家並みが残っている。江戸期以来の面影であろうか。舞鶴にも残る遊郭建物と同じ建て方である。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 小浜飛鳥の主な歴史記録小浜飛鳥の伝説小浜飛鳥の小字一覧関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『小浜市史』各巻 その他たくさん |
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