福谷(ふくたに)
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福井県小浜市福谷 福井県小浜町福谷 |
福谷の概要《福谷の概要》 天ヶ城山南東麓に位置し、東は小浜湾に面する。古い字名に南塩浜・中塩浜・北塩浜・鼻塩浜があり、この地で製塩が行われていたと考えられる。 福谷は、鎌倉期から見える地名で、正和5年(1316)3月の若狭西津荘所当収納帳に「三石三斗七升二合 福谷名五人弁」と見えて、当初は西津荘の名田の名であった。文永2年(1265)11月の若狭国惣田数帳案に「福谷宮」が見える。応永11年(応永1404)9月9日の伊射奈伎神社所蔵鰐口に「若州福谷天満大自在天神宮」と見える。同28年11月19日の明通寺寄進札に「福谷 願主右近」と見え、文安5年(1448)10月11日の羽賀寺寄進札の裏面に「福谷村又三郎」と見える。文明2年(1470)10月18日の同寄進札に「西津庄福谷村」とあり、戦国期にも西津荘内に含まれていたことが知られる。室町期~戦国期にかけて武田氏家臣内藤氏が西津を本拠としており当村もその支配下に置かれ、永正14年(1517)12月20日の仏国寺買得田畠山林等目録によれば「西津福谷」の山1か所が内藤九郎左衛門によって仏国寺へ寄進されている。同18年に武田元信が「福谷殿様」と称されていることから、屋形を子の元光に譲った元信が福谷にいたことがわかる。天文8年(1539)8月25日には福谷長福寺の観音開帳があった天ヶ城山の山頂に若狭守護武田氏の重臣内藤筑前守の居城といわれる天ヶ城跡がある。同城は武田氏本城後瀬山城の北辺防備の拠点であった。 近世の福谷村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。幕府へ届け出た郷帳類では当村名が見えず西津村のうちに含まれているが、藩領内では独立村として扱われていた。明治7年西津村が公式に3町8か村に分村した際に当村も公式に独立村となった。農村で、元禄3年の下中郡村控によれば、元高76石余、今高84石余、家数48(高持百姓18 ・ 無高30)・人数300。「雲浜鑑」によれば、村高76石余うち田方33石余・畑方43石余、ほかに一ツ高9石余、小名として南小路・田中町・岡丁があり,家数50 ・ 人数290。寺院は臨済宗真珠庵・浄土真宗念正寺・浄土宗法界寺,神社は若一王子がある。「若州管内社寺由緒記」によると、念正寺は長禄年間の創建で、文明6年本山8世祖蓮如上人が越前から当浜へ船で着き同寺に2日間逗留したという。明治4年小浜県、以降敦賀県・滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年西津村の大字となる。 福谷は、明治22年~現在の大字名。はじめ西津村、昭和10年小浜町、同26年からは小浜市の大字。明治41年若宮神社は釣姫神社、秋葉神社は宗像神社、宇佐八幡神社は日吉神社へそれぞれ合祀された。 《福谷の人口・世帯数》 695・293 臨済宗南禅寺派真珠庵 『遠敷郡誌』 眞珠庵 臨済宗南禪寺派高成寺末にして本尊は聖観世音同村福谷に在り、永正年間創建、開基を奇岳と傳ふ、境内佛堂に観音堂あり、本尊は聖観世音なり、元延壽山長扇寺と稱し、海中出現の靈佛としで尊崇されしが文政三年焼失し其後再建せしものなり。 浄土真宗念正寺 『遠敷郡誌』 念正寺 眞宗本願寺派にして本尊は阿彌陀如来なり、同村福谷字南小路に在り、長峰三年創立、淨西を開基とす、現に永正十年實如裏書の本尊を安置し蓮如文明七年甲ヶ崎上陸の際の舊蹟と傳ふ。 浄土宗法界寺 天ケ城跡 戦国期武田家の重臣内藤筑前守重政が築城したと伝えられる天ケ城跡がある。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 福谷の主な歴史記録福谷の伝説『越前若狭の伝説』 天か城 (福 谷) 天か城は内藤筑前守の城であった。丹羽長秀の攻撃を受け、筑前守は山の背の狭い坂に竹の皮を敷いて防戦したという。天が城は、端午の節句の日に落城した。それで五月の節句の日に天か城へ登ると、女や子どもの泣き叫ぶ悲鳴や軍馬のいななき、ひずめの音などか聞こえるといわれ、この日は今も山へ登ることを恐れて、西津福谷の村人は、内藤筑前守の菩提寺福昌寺に集まり、法要を行なっている。 また一説に内藤筑前守は丹羽良秀と、尾崎村の円照寺でわぼくの宴を開き、その帰り道両津松原で暗殺されたともいう。 (天ヶ城) 福谷の小字一覧福谷 水築 北奥 森ノ下 坂ノ下 南小路 南塩浜 中塩浜 北塩浜 鼻塩浜 鼻ノ脇 岡内 小谷 岡庄 田中庄 臼谷 臼谷口 小水ケ谷 長畑 瀬戸ケ谷口 四人 瀬戸ケ谷 反 宮ノ腰 宮ノ上 水ケ谷 滝ケ谷 細谷 奥ノ谷 小黒目 天ケ城 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『小浜市史』各巻 その他たくさん |
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