小浜生玉(いくだま)
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福井県小浜市小浜生玉 福井県遠敷郡小浜町小浜生玉 |
小浜生玉の概要《小浜生玉の概要》 大正7年の鉄道開通以前は小浜塩竃の海岸に連絡船乗船場があり、小浜の玄関口として商店街を形成してにぎわい人出も多かったという。 旧城下にあたる小浜24区の各町名はいずれも有名神社名から名付けたといわれ、生玉は大阪生国魂神社(通称生玉神社)にちなんだものかという。 生玉町は、明治7~22年の町名。小浜町のうち。明治7年区割改定により八百屋町と本町・川縁町の各一部が合併して成立。合併時の戸数114。 明治14年滋賀県から福井県へ編入されると若狭地方では生活の不便さが顕著になり、滋賀県への復県運動が起きた。当町の総代曽根三五が同14年2月の遠敷郡総代の復県嘆願書に名を連ねている。同22年小浜町の大字となる。 生玉は、明治22年~現在の大字名。小浜を冠称。はじめ小浜町、昭和26年からは小浜市の大字。毎年9月14 ・ 15日に行われる八幡神社祭礼放生会には、隔年ごとに恵比須の山車を奉納している。 《小浜生玉の人口・世帯数》 152・58 《小浜生玉の主な社寺など》 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 小浜生玉の主な歴史記録小浜生玉の伝説小浜生玉の小字一覧関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『小浜市史』各巻 その他たくさん |
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