丹後の地名 若狭版

若狭

川崎1~3丁目(かわさき)
福井県小浜市川崎1~3丁目


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福井県小浜市川崎1~3丁目

川崎1~3丁目の概要




《川崎1~3丁目の概要》
小浜新港および漁業関連施設の立地のため、小浜湾を22万3,000㎡にわたって埋め立てて昭和58年に出現した地で、地内には広い道路がほぼ東西・南北に整然と走る。
台場浜公園あたりから先は公有水面の埋立地。昭和48年から手狭になった小浜漁港の移転と水産業者の有機的結合を目的として、津島・多賀・鈴鹿3区の海岸部を埋め立てて小浜新港を造成し、同58年11月開港。町名は、江戸期に栄えた川崎港がこの近くにあったことから、その繁栄を受け継ぐことを願って川崎としたという。
漁業関連施設の立地を目的とするため、宅地としての利用は規制されている。


《川崎1~3丁目の人口・世帯数》 4・2


《川崎1~3丁目の主な社寺など》

若狭フィシャーマンズ・ワーフ

若狭湾観光、海産物・みやげ物売場、食堂が入る若狭フィシャーマンズ・ワーフ


若狭国定公園の名勝蘇洞門めぐりの遊覧船乗場



台場浜公園

フィシャーマンズ・ワーフの向かいに野外ステージのある公園がある、砲台の土塁でなかろうかと思われる土盛りがある。幕末の日本海沿岸警備のため大砲を置いた川崎台場跡に作られた台場浜公園である。
安政元年(1854)に海岸部に半円形に張出す台場が築造され、大砲5門が設置された。台場5基のうち4基は工事請人重田卯右衛門の私費によるもので、以後同氏が御台場懸りを命ぜられた。


川崎台場跡
幕末になると日本海沿岸にロシア船が出没し、小浜藩の沿岸警備が始まりました。
ここ川崎御台場は安政元年(一八五四)小浜藩が川崎町の重田卯右衛門に命じてつくらせたものです。台場はこの他五ヶ所つくられ大砲は全部で五十五門ありました。
大砲の玉は百匁から十六貫目まであって、川崎台場には七門が据付けられていました。台場は重田卯右衛門や黒鍬八兵衛らの奉仕でつくられ、大砲の鋳造費は町方商人に課せられました。
川崎台場はこのように日本海側の沿岸警備のためつくられましたが、明治に廃止され、跡地は現在この公園となっいます。



佐渡に渡った世阿弥をしのび、「世阿弥船出之地」の石碑がたつ。

案内が石に刻まれている。
洲崎町は寛永夫代帳にみえ、寛文年中(1661-73)には海岸部に酒井忠高の御茶屋があったと伝える。

《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


川崎1~3丁目の主な歴史記録




川崎1~3丁目の伝説






川崎1~3丁目の小字一覧




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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『小浜市史』各巻
その他たくさん



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