小浜清滝(きよたき)
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福井県小浜市小浜清滝 福井県遠敷郡小浜町小浜清滝 |
小浜清滝の概要《小浜清滝の概要》 小浜漁港の船だまりがある南側、清滝交差点があるあたり。 旧城下にあたる小浜24区の各町名はいずれも有名神社名から名付けたといわれ、清滝は京都醍醐寺の鎮守神である清滝神を祀る清滝神社にちなんだものかという。 清滝町は、明治7~22年の町名。小浜町のうち。明治7年区割改定により大津町と松本町・川縁町・本町の各一部が合併して成立。合併時の戸数118。明治7年6月8日当町から出火し町内720戸が被災した。同22年小浜町の大字となる。 清滝は、明治22年~現在の大字名。小浜を冠称。はじめ小浜町、昭和26年からは小浜市の大字。明治27年10月7日にも地内から出火し115戸が被災した。 昭和30年漁港の一部としてあった船だまりを活用するため小浜橋を鋼鉄製のはね上げ橋に架け替え、以後この橋ははね上げ橋としてその名を残し、稼動しなくなってからも通称の地名として近年まで存続した。同54年より当地内から小浜広峰にかけてあった船だまりを埋め立てて住宅地にした。毎年9月14 ・ 15日に行われる八幡神社祭礼放生会には、隔年ごとに大津町の山車を奉納している。 《小浜清滝の人口・世帯数》 144・57 《小浜清滝の主な社寺など》 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 小浜清滝の主な歴史記録『小浜市史』 木崎惕窓と板屋一助 木崎惕窓(きざきてきそう)と板屋一助の二人は、町家に生まれ、町家に育ち、町人として一生を終わった町人学者である。惕窓は、本書でいくども使用してきた「拾椎雑話」の著者であり、一助は「稚狭考」の著者である。 惕窓は、元禄二年(一六八九)に生まれ、名を正敏、通称を藤兵衛といい元文元年(一七三六)から宝暦元年(一七五一)まで小浜の町年寄を勤め、明和三年(一七六六)に七八歳で死去した。惕窓の家は、木崎村から出た本家木崎太郎左衛門家の分家であり、代々富沢町に住み酒造業を家業としていた。惕窓の学問的素養がどのようにして養われたかは必ずしも明らかではないが、一族の祖に中院家門人の歌人甚兵衛正員があり、一族中には連歌・俳諧から詩・書・絵画にいたる嗜みをもつものが多くあったことも、その一因であろう。 いっぽう板屋一助は、享保元年(一七一六)に生まれ、名を元紀、通称を徳右衛門といい、天明二年(一七八二)死去した。一助の家は、近江津田の出身である板屋伝右衛門の分家であり、石屋小路に住み、代々材木業を家業としていた。一助は小栗鶴皐の門に学び、「千百年眼」の日本での再版を行った吹田定敏との交流も深く、国学に広い知識を持ち、和歌も良くした。また著書には「稚狭考」の他に、安永九年(一七八〇)京都の書肆武村嘉兵衛から刊行された「行余随筆」二〇巻、「好衣集」二巻などがある。 惕窓の「拾椎雑話」は、宝暦七年になり、その後「追加」 「追々加」が加えられ、もっとも新しい記事は宝暦十四年のものである。この書は、宝暦十年に小栗鶴皐が書いたこの書の跋にあるように、「若狭郡県志」など先行の書に載せるものは載せず、惕窓が古い記録を訪ね、また古老から聞き取ったことを書き記したものであり、それまでの地誌が記さなかった庶民の世界を様々な角度から書き留めており、その記事の正確さもあいまって江戸時代の若狭を知る上で見落としえないものである。この書の構成は、小浜(巻一~巻一〇)、町名(巻一一)、寺社(巻一二)、武家(巻一三・一四)、町家(巻一五)、人物(巻一六・一七)、学譚(巻一八)、高貴(巻一九)、郷中(巻二〇)、天変(巻二一)、傷害(巻二二)、鳥獣(巻二三・二四)、他邦(巻二五~二七)、異域(巻二八)でなっており、みずからの生きた小浜の事歴を中心におくものの、その視野は他邦・異域にまでおよんでいる。 一助の「稚狭考」は、「拾椎雑話」に遅れること一〇年、明和四年(一七六七)になった一〇巻の地誌である。序によれば、この書は「本国に便あることは、真字・国字・半仮名にかきらす、天平法馬の中にありて、家道を勤むるの余力をもて、年々書置たるをとりあつめ」たものであり、これまでの地誌の著者の多くが若狭出身の人ではないために、村里で訪ねても慎み恐れてことごとく語られることはなく、これらの書に洩れたることも少なくはないのでそれを補い、また「年月の前後、部類の条々、次第を改め」て纒めたものだとしている。初めの三巻は、若狭の国史で、諸書を渉猟して若狭に関係あるものを集め考証を加えたものであり、のちの伴信友による考証の先駆となるものである。第四巻は旧説寺院、第五巻は散楽祭礼、第六巻は製造商賈、第七巻は草木魚鳥、第八巻は隣国並角鹿、第九巻は遠敷郡、第一〇巻は三方郡・大飯郡であり、そこには著者一流の考証がなされており、「拾椎雑話」には見られぬ特徴となっている。 小浜清滝の伝説小浜清滝の小字一覧関連情報 |
資料編のトップへ 丹後の地名へ 資料編の索引
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『小浜市史』各巻 その他たくさん |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Link Free Copyright © 2021 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com) All Rights Reserved |