丹後の地名 若狭版

若狭

鯉川(こいがわ)
福井県小浜市鯉川


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福井県小浜市鯉川

福井県大飯郡加斗村鯉川

鯉川の概要




《鯉川の概要》
西から国道27号を行けば、小浜市に入った所。浜沿いに海浜公園がある所である。加斗地区の西端で、南は山、北は海(小浜湾)。岸沿いを国道27号とJR小浜線が東西に並行して走る。
鯉川村は、江戸期~明治22年の村。若狭国大飯郡のうち。小浜藩領。「雲浜鑑」によれば、戸数29・人口134。寺院は徳運寺、字名に東町・西町がある。小岩坂(大岩坂)があり、長井村との境になっていた。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年加斗村の大字となる。
鯉川は、明治22年~現在の大字名。はじめ加斗村、昭和30年からは小浜市の大字。明治24年の幅員は東西2町余・南北2町、戸数25、人口は男74・女81、小船7。


《鯉川の人口・世帯数》 82・27


《鯉川の主な社寺など》

森谷古墳群など
南側の谷に円墳3基の森谷古墳群がある。小字西久保に円墳4基、同伏見に円墳1基、同大岩に円墳2基、横穴2基がある。
『小浜市史』
加斗地区
この地域ではさほどの群集墳は見当たらず、主として海岸線に面した鯉川地区に集中するようである。ただ、岡津集落の海岸では六世紀代に比定される浜袮ⅡB式製塩土器の散布がみられ、それに伴う古墳の存在も考えられるが、未調査のため不明である。
 一方、鯉川地区では張出した山裾先端部に四ブロックにわかれて所在し、二~四基の単位で点在する。最も東側の沓掛古墳群二基は岡津製塩遺跡を見下ろす位置にあって、或いはこの遺跡と関連があるのかも知れない。森谷古墳群は鯉川集落最奥の谷間、薬師堂の付近にあったが、道路拡張で二基が破壊され、かろうじて一基が残存する。村人の話では須恵器・銀環が表採されたそうだが、所在は明らかでない。
 集落の西側に突出して張出す丘陵上の西久保古墳群は四基が順列する。さらに西側谷間の小字伏見・大岩にも二基があって、うち一基は石室を露出させる(写真29)。これが小浜市の最西端の古墳となる。
 加斗地区の古墳は以上だが、詳細な調査はしておらずさらに増えると思うが、これらはすべて小規模なもので、最大の墳丘でも一〇メートルに満たない。おそらく六世紀後半代から七世紀初頭の時期につくられたと考えられ、特にここでは塩生産との関連が推測されるものである。



牛尾神社

小字森谷に天文4年(1535)創建と伝える旧村社牛尾神社(祭神大山咋命)がある。当社では毎年3月10日、区民の平穏無事と豊作を祈る当渡しの神事を行うという。
『大飯郡誌』
同(村社) 牛尾神社 同(祭神)大山咋命 鯉川字森谷に在り 社地百七坪 氏子二十五戸 社殿〔〕鳥居一基 由緒〔明細帳〕天文四乙未年建立之由申傳。
〔寛永四年図中高附〕 天日八王子正月二十三日九月十一日御供備へ申候。

寛永4年(1627)頃は「天日八王子」社と呼んでいたようである。その「天日」は天日槍であろう。その天日槍の眷族郎党を祀るものであろうか、大人男といった意味か。天文とかそうした新しい社ではなく、古墳時代の社だが、元々当地にあったのでなければ、どこかから勧請したものか。


臨済宗妙心寺派徳運寺

『大飯郡誌』
徳運寺 同(臨済宗)  妙心寺派常高寺末 鯉川字岡畑に在り 寺地百八十七坪 本尊観世音 堂宇〔〕由緒〔明細帳〕元龜元庚午年中興形山不琢首座創立其後中絶元和三丁巳年常高寺二世仙巖和胄再興。


鯉川海浜公園

若狭鯉川シーサイドパークはコロナのため休業中。今期(2020夏)の若狭湾の海水浴場はすべて海開きもなく、開設もされないことになるよう。
治療薬やワクチンなどの薬がなく、医療体制貧弱では大昔の疫病流行と同じで、どうにも人間様には打つ手はない。マスクもない!検査すらもできない超ヤバイヤバン国状態だが、神の助けか、国内の第一波は何とか押さえ込んだようだが、これから先まだまだ何が起こるかわからない、また国内だけでは流行は押さえられない。
小浜市やおおい町、高浜町、舞鶴市などは今のところは感染者は一人も発生していないが、油断大敵、イナカは元々医療システムが貧弱の上に、政治行政は市民の安全健康などどうでもよく、「合理化」とかクソリクツをつけて、要は病院ツブシするしかノーがないため(ワタシの地元のハナシ)、少し感染者が発生するだけでもたちまち医療崩壊が発生して医者にも診て貰えなくなり、助かる命も失いかねないヤバイところである。3密を避けましょう、不要不急の外出もやめましょう。お互いにしばらくは慎重に行動して薬の開発を待つより方法はなさそう。
国防優先とか言って膨大な国防費を使ったり、経済優先とか言っている国が一番ヒドイ。核や鉄砲やゼニではウィルスには勝てない。医学科学でも難しい。クダラヌ物にアホほど税金をほかすのでなく、医療にこそ税金をつかいましょ。
このコロナは今後の人間世界を変え、もうチイとはまともな社会へと発展させるものになるだろう。まずは市民の自覚が大事、政治や行政と命は直結している、自分で自分と家族の命を守る気構えを持とう。
『わかさ宮川の歴史』
終戦
燃料資源を絶たれ補給の道を失った者の生活は全く自給自足で、タクシーは勿論バスもトラックも休業し、改造された木炭自動車、割木自動車などが細々と動いていました。
 みじめな者は病人である。荷車に乗って入院しても、満足に薬は無く、医療器具も無い、医者も不在、全く重病人は見殺しの態でありました。

75年を経て、またまた同じような状態になりつつある。75年間は何であったのだろう。基盤のない砂上の楼閣、夢か幻か、苦い体験を完璧に忘れてしまうほど人とは愚かなものなのだろうか。歴史的には何度も何度もこれでもかこれでもかとこうした感染症の流行を経験しているはずなのだが、何も学ばない。すべては弱い所へしわ寄せされ見殺しにされる。コロナばかりではないが、日本の本当の実態が誰にも見えた。。。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


鯉川の主な歴史記録




鯉川の伝説





鯉川の小字一覧


鯉川 東谷 海老谷 砂田 西谷 豊畑 小谷 岩尾 上ケ谷 下岩尾 森谷 森下 川畦 岡畑 硲 久保 荒廉 森本 縄手 池田町 猪ノ奧 若谷 鯉堀 梅木迫 中畑 防ノ奥 元芝崎 東芝崎 昇立 舟付 林所 車所 千原 鯉川 西久保 東大岩 西大岩 伏見 松葺谷 奥伏見 宮畑

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『小浜市史』各巻
その他たくさん



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