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旧・口名田村(くちなたむら)
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旧・口名田村の概要《旧・口名田村の概要》 ![]() 米・麦のほかに蔬菜や茶の生産も行われ、養蚕も盛んになり製糸工場が設立された。さらに瓦の製造や石灰の生産も行われた。主要道であった丹波道は村の北端に谷田部坂と呼ばれる峻険な坂があり、大正12年、この坂に隧道が完成するまで物資の輸送は川船を主とした。昭和26年小浜市の一部となり、当村の6大字は同市の大字に継承された。 ![]() 旧・口名田村の主な歴史記録『遠敷郡誌』 口名田村 北部は大飯郡加斗村と接し、北東今富村に、東南は遠敷村に、南は知三村・中名田村に、西は中名田村及大飯郡に接す、南川の中浣に位し窪谷川・須縄川・奥田繩川の渓流あり、南川は村の中央を北東に向つて流れ小濱まで舟行の便あり、生業は農業を主とし石灰、製絲、製瓦等盛なり。 谷田部 本村の北端にあり、縣道は青井より谷田部坂を経て此區を通過し、其坂の下に梅林あり、古へよりの名所と稱す、此區は後瀬山の背後に位し小濱より名田庄に通ずる捷路に當るを以て社寺の興廢等小濱に関係する事多し。 須繩 須繩川の流域にして藩政時代より石灰の産出多く、今は會社を組織して産出に從事す、堀田正信舘址あり、奥山に瀧あり、高さ五丈二尺幅一丈三尺。 口田繩 南川の東岸にあり、山上大塩長門守吉次築く所の城址あり、又山下に吉次の子宮忠及孫長門守等代々の宅址あり、大光寺中にそれらの墓ありと云ふ。 奥田縄 奥田縄川の溪谷一帯を包み、林産豊かに石灰も又産出す、親王谷に田繩の瀑あり直下五丈。 上中井・下中井 村の中央にあり、交通の要衝に當り役場・小學校・製絲會社・金融會社等皆此區に存す、上中井に城址あり、寺井兵庫の據りし所と傳ふ。 東相生 丹波街通に沿ひ中名田村に接す、南川の沿岸粘土層に富めるを以て瓦を産出し、舟に依って小濱へ送る。 西相生 窪谷川の流域を包み、飯盛山等の高き山々を境として大飯郡及中名田村に接す、此區より上中井區に通ずる道路は南川に沿へる難路なりしが明治二十三年上窪石之助氏等今の村道を開鑿せしと云ふ。 ![]() 関連情報![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『小浜市史』各巻 その他たくさん |
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