小浜大宮(おおみや)
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福井県小浜市小浜大宮 福井県遠敷郡小浜町大宮 |
小浜大宮の概要《小浜大宮の概要》 国道27号を舞鶴側から来れば「後瀬山トンネル」を抜けてすぐに左に入る、旧丹後街道沿いの両側集落。途中にJR小浜線の踏切がある。小浜城下への表口にあたり、番屋が設けられ、早くより発展したという。 近代の大宮町は、明治9~22年の町名。小浜町のうち。四ノ宮町が改称して成立。江戸期は城下への東側入口にあたり、丹後街道↑が通っていた。明治19年の戸数84、人口321。同22年小浜町の大字となる。 近代の大宮は、明治22年~現在の大字名。小浜を冠称。はじめ小浜町、昭和26年からは小浜市の大字。毎年9月14 ・ 15日に行われる八幡神社祭礼放生会には、第2次大戦前は賤ケ岳七本槍の練子、昭和31年からは棒振り大太鼓を出している。また7月13日には後瀬山山頂の愛宕神社に大松明を奉納する。 《小浜大宮の人口・世帯数》 110・44 《小浜大宮の主な社寺など》 浄土宗常照山心光寺 旧丹後街道沿い、後瀬山の北側山麓にある。本尊は阿弥陀如来。寛永7年(1630)京極忠高がその夫人孝安院(徳川秀忠女)の牌所として建立、孝安寺を称したという。のち寛永18年に没した酒井忠勝夫人心光院の牌所となり現寺号となった。酒井忠用母春岳院や忠用侍妾秋爽院の廟所もあり、寛延4年(1751)4月20日には僧1人、米10俵を新寄付している。江戸時代の寺領は不明で、明治3年の藩政改革により寺領は廃止されたが、同年4月には酒井家家禄より60石が寺領として与えられた。寺蔵の心光院使用鉄線蒔絵膳一式は市指定文化財。 『遠敷郡誌』 心光寺 淨土宗鎮西派にして同町大宮に在り、本尊は阿彌陀如来なり、寛永七年京極忠高の創建にして開基を星譽と去ふ、酒井家代々夫人の墓あり。 『小浜町誌』 心光寺 後瀬山東山麓ニ在リ。此境昔時妙興寺開基ノ地ニシテ、又善道寺及立心坊ノ旧地ナリ。寛永七年国主京極忠高寺立心坊ヲ闕脇町尻ノ地ニ移シ、其跡ニー寺ヲ建テ。夫人孝安院ノ牌所トナシ孝安寺ト名ク。夫人ハ徳川秀忠ノ女也。京極氏國替ノ後、善道寺ト稱ス。後酒井忠勝公ノ夫人心光院殿ノ牌所トナリ、更ニ之ヲ常照山心光寺ト号ス。浄土宗ナリ。開基ヲ呑空上人ト曰フ。塔頭寳樹院ハ、天正十二年ノ創建ニシテ、深霊和尚ノ開基ナリ。古ノ善道寺是ナリ。 浄土真宗本願寺派立光寺 『遠敷郡誌』 立光寺 眞宗本願寺派にして同所に在り、本尊は阿彌陀如来にして了光の開基と傳ふ、應永三年の建立にして同三十二年達摩小路に次に天正十二年奥小路に移り、同十五年屋敷替に付塩屋町河端に移り、後寶永七年更に今の欠ノ脇へ移る。 『小浜町誌』 立光寺 小濱町大宮願勝寺ノ北隣ニ在リ。一向宗ニシテ西本願寺ノ流義ナリ。應永三十二年僧了光之ヲ創建ス。開山了光ハ姓橘氏攝津國ノ人ナリ。幼ニシテ大和国法隆寺ニ入リテテイ染ス。爾後本願寺巧如上人ノ門徒トナル。傳言フ此寺昔時達磨小路ニアリ、後今ノ所ニ移レリト。 淨土宗願勝寺 『遠敷郡誌』 願勝寺 淨土宗鎮西派心光寺末にして同所に在り、本尊は阿彌陀如来にして元龜三年敬順開基と傳ふ。 『小浜町誌』 願勝寺 小濱町大宮区心光寺ノ東北ニ在リ。浄土宗ナリ。昔時ハ此寺小濱海畔ニ在リシ時湊山ト稱ス。其後此ニ移リ猶湊山願勝寺ト云フ。元亀三年四月敬順和尚ノ開基ニシテ、心光寺ノ末派ナリ。寺僧毎歳七月十五日・十六日ノ晝夜、小濱市中ヲ徘徊シ、鼓鉦ヲ鳴シテ頌ヲ誦ス。是ヲ六斎或ハ六讃ト稱セリ。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 小浜大宮の主な歴史記録小浜大宮の伝説『越前若狭の伝説』 立光寺 (大宮) 応永三十二年(一四二五)の草創である。開山の了光上人は摂津(大阪府)の人である。長谷の顫膏堂に参り、七日七夜おこもりをして、願の満つる夜夢の告げに、「北越はまだ仏法が盛んでない。これがら若狭に行き。一向専念の教えを広めよ。」といわれた。夢さめて後も仏の光が目にあるようである。よって寺を立光寺と称し、自分の名を了光と号した。 (社寺由緒記) 小浜大宮の小字一覧関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『小浜市史』各巻 その他たくさん |
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