小浜塩竈(しおがま)
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福井県小浜市小浜塩竈 福井県遠敷郡小浜町小浜塩竈 |
小浜塩竈の概要《小浜塩竈の概要》 西に小浜湾に面し、国鉄が大正7年に開通するまで、鉄道院連絡船が発着する桟橋があり、海の玄関口となっていた。また海岸は海水浴場であったが、昭和46年海岸線を埋め立てて市道臨港線が開通したため砂浜もなくなった。現在は海岸道路の南側をほぼ並走する市道中央線沿いに家並みが形成され住宅地域となっている。 旧城下にあたる小浜24区の各町名はいずれも有名神社名から名付けたといわれ、塩竃は宮城県塩竃神社にちなんだものかという。 塩竈町は、明治7~22年の町名。小浜町のうち。明治7年区割改定により魚屋町・安良町と北本町・本町の各一部が合併して成立。合併時の戸数105。旧安良町と魚屋町の境であった切り戸の通りの浜には桟橋があり、ここから出ていた定期船は、大正期に鉄道が開通するまで小浜と大飯・高浜を結ぶ重要な交通手段であった。同22年小浜町の大字となる。 塩竈は、明治22年~現在の大字名。小浜を冠称。はじめ小浜町、昭和26年からは小浜市の大字。毎年9月14, 15日に行われる八幡神社祭礼放生会には、隔年ごとに高妙の山車を奉納している。 《小浜塩竈の人口・世帯数》 117・54 《小浜塩竈の主な社寺など》 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 小浜塩竈の主な歴史記録小浜塩竈の伝説『越前若狭の伝説』 切戸の仏像 (塩釡) 明和元年(一七六四)十月三日、安井町(今の塩釜)井筒屋小兵衛の家来又八(またはち)という人が、湖をくみに切戸(きれと)の浜に出た。海中を見ると、何か浮いているものがあり、仏像らしく思えたので、海に入り、ひろいあげると、たけ五十九センチの仏像であったが、何の仏さまがわからなかった。とにかく切戸の地蔵堂の前においた。 又八は、魚屋町茶屋善兵衛の家へ立ち寄り、ことのおこりを話した。すると善兵衛は、地蔵堂の前にさっそくたなを作り、花をそなえて、その仏像をまつり、夜は家へひき取った。しばらくすると、近辺の男女が、夜どおし参りにきて、夜昼となくにぎわった。 この仏を、釈迦の出山(悟りを閧いて山からおりて来たときの姿)の像と人びとはいった。この像を町役人がとり調べたこともある。参拝者も多くなり、あめ売りも出たりした。お殿さまもご覧になり、また元の主人のところへ返された。小堂を建ててまつるようにと、殿さまがら善兵衛にいい渡された。この仏像は、眼病や、おこり(マラリヤ)にかかったとき、願をかけると、よくきくといい、いよいよ信心する人が多くなった。 (拾椎雑話) 小浜塩竈の小字一覧関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『小浜市史』各巻 その他たくさん |
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