小浜津島(つしま)
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福井県小浜市小浜津島 福井県遠敷郡小浜町小浜津島 |
小浜津島の概要《小浜津島の概要》 川崎1~3丁目に接し、北と東は小浜漁港に面する。かつては魚市場があり、小浜漁港の中心地であった。 旧城下にあたる小浜24区の各町名はいずれも有名神社名から名付けたといわれ、津島は愛知県津島神社にちなんだものかという。 津島町は、明治7~22年の町名。小浜町のうち。明治7年区割改定により松本町・川崎町・川縁町の各一部が合併して成立。合併時の戸数101。同22年小浜町の大字となる。 津島は、明治22年~現在の大字名。小浜を冠称。はじめ小浜町、昭和26年からは小浜市の大字。江戸期の川口港は明治期になってから小浜港となり、幾多の改修を経て漁港と姿を変えた。 毎年9月14 ・ 15日に行われる八幡神社祭礼放生会には、隔年ごとに神楽を奉納している。 《小浜津島の人口・世帯数》 170・88 《小浜津島の主な社寺など》 六月祓神社 案内板がある。 六月祓神社(みなつきはらえじんじゃ) 小浜市小浜津島一〇五 祭神 表筒男之命 中筒男之命 底筒男之命 例祭 夏越祓(茅の輪くぐり)・御旅祭 七月二十八日 御火焚祭 十一月二十八日 神紋 丸に麻の葉 境内地 五八七・二㎡ 旧社格 村社 境内社 稲荷明神、金山彦命、山神 主要建物 本殿 木造 銅板葺 流造 拝殿 木造 銅板葺入母屋造 御旅所 木造 入母屋造 氏子 津島・多賀区一五〇戸 宮司 渡邉降 由緒沿革 社伝によると本社が松永谷上野(小浜市上野)にあった頃(後に竜前へ遷る)慶長九年(一六〇四)古米禊祓の地であった現在地に「水無月の神が降りられた」という巫子の霊夢により祭祀が始まり、祠が建てられました。明治十三年に社殿が造営され、「六月祓神社」と命名されました。慶長年間よりここで夏越の祓い神事がつづけられてきました 「なごしのはらえ」とは陰暦の六月末日に半年間の罪けがれを祓う大はらえの神事です。この神事には参拝人に「ちの輪」をくぐらせ、お祓いをして清める、邪心を和めるという意味があります。現在の夏祭は氏子の津島・多賀両区民が、八幡神社の摂社「六月祓神社」の祭神を提灯太鼓と「よーしたー」という掛け声で盛大に送迎し、近郷、近在の人々からは「かわそさん」、「かわっさん」と親しまれています。 今も安産、商売繁盛、海路陸路の交通安全の神様としてあがめられ、大勢の参拝客が訪れています。 平成十五年七月製作 『遠敷郡誌』 六月秡枝神社 小濱町津島に在り、村社にして祭神は表筒男之命、中筒男之命、底筒男之命にして、元六月祓神社と號す、郡縣誌に八幡社傍にあり、六月末日此社を舟中に移し河崎の濱に上げ假殿に入れ神供神樂あり、男女群集云々とあり、一書に舊来松永村上野に在り、後同村龍前に移し、明治二年今の地に移すとあり、又明治二年神社調帳には水無月祠とありて、慶長九年六月二十九日創建祭日六月晦日にして古来荒和之拔あり、神職内海氏にして若狹中の津々浦々より參拜者多かりしことを記せり、今古老に聞くに明治以前は此地神社なし、毎年六月二十八日遠敷上下宮より、御輿を奉じ来りて祭禮を行ひ、地方の參拜者多かIし由なり今に於で吽小濱年中行事の一として地方の參拜者よりも近傍よりの群集雑沓し八幡社祭禮に次ぐの盛況たり、境内神社に金刀比羅神社あり、合併社に二社あり、山神社は明治四十一年内外海村志積浦字大田より移され、日枝神社は同時に同浦字櫻畑より其境内神社神明宮八幡宮春日社新谷神社蛭子神社と共に合併されしものにして、寶治元年四月近江より勧請せしものなりと傳へらる、郡縣誌には産神とあり。 『小浜町誌』 村社六月祓神社 川崎ニ在リ。表筒男命、中筒男命、底筒男命、大山咋命ヲ祭ル。境内ニ金毘羅神社アリ。 浄土真宗本願寺派井上山浄光寺 『遠敷郡誌』 淨光寺 眞宗本願寺派にして同町津島に在り、本尊は阿彌陀如来にして慶安元年数惠創建と傳ふ。 『小浜町誌』 浄光寺 小濱町津島区ニ在リ。一向宗ニシテ西本願寺ノ流義ナリ。曾テ陸奥國會津淨光寺ノ住僧教恵此ノ地ニ来遊シ、暫ク市中ニ止宿シ、然後慶安元年此寺ヲ建テ、以テ隠退ノ處トナス。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 小浜津島の主な歴史記録小浜津島の伝説『越前若狭の伝説』 水無月祓社 (津島) 小浜州崎水無月御被(みなづきおはらい)社の出来は、むかし松永谷上野にかなという名のみこがあった。慶長九年(一六〇四)六月二十九日の夜霊夢があり、「小浜の州崎に水無月(みなづき)の神が出現する。早く行って拝め。」とのことであった。みこが怪しんで行ってみると、長二メートルばかりの幣があり、月の絵が一幅かかっていた。よって小社を建て、水無月の祭りを始めた。かの月の絵は今もある。 (社寺由緒記) 小浜津島の小字一覧関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『小浜市史』各巻 その他たくさん |
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