木谷(きだに)
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福井県大飯郡おおい町名田庄虫鹿野木谷 福井県遠敷郡名田庄村木谷 福井県遠敷郡知三村木谷 |
木谷の概要《木谷の概要》 虫鹿野から久田川を遡ったところ谷間の集落。集落というのは何軒ほどあれば集落と呼ぶのか知らないが、今は3軒のみのようである。限界ギリギリでなかろうか。人が住んでいるので、ここまでは県道35号(久坂中ノ畑小浜線)は問題なく来られる。虫鹿野を母村とする久多河内と呼ばれる山間地の小村の1つで、古来、杣を専業とていたという。 木谷村は、江戸期~明治初年の村。小浜藩領。虫鹿野村の枝郷とされ、「若狭郡県志」「稚狭考」などでは他の枝郷とともに本村に含められて、虫鹿野村一村として記されている。「旧高旧領」もまとめて虫鹿野村と記し、明治初年、行政的には虫鹿野村のうちとして扱われた。「雲浜鑑」によれば、家数9・人数50、寺は曹洞宗玉林院、神社は南宮高山大明神が記されている。 木谷は、明治22年~現在の大字名。はじめ南名田村、明治24年知三村、昭和30年名田庄村、平成18年からはおおい町のの大字。もとは虫鹿野村の一部。「虫鹿野の内木谷」ともいう。明治29年大阪市の杉村正太郎が山林700町を買い取り、杉・檜の植林事業を開始、県下の模範植林地として各方面から視察に来た。明治41年南宮高山神社を虫鹿野皇王神社に合祀した。 《木谷の人口・世帯数》 4・3 《木谷の主な社寺など》 曹洞宗玉林院 南宮高山大明神 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 木谷の主な歴史記録『名田庄村誌』 木谷 久田川の支流の木谷川の渓間にある山村小地区で、本村の東北隅に位置する。藩政時代以来耕地は、狭い流城のわずかな平地を耕作している。古くから杣業を主とし、その他材木関係・木炭などの林業を営む。名田庄の杉材は、ほとんどここから産出される。 さぶ峠を越えると近江へ通ずる針畑がある。このあたりの山中に不動堂がある。山深い集落だけに水は岩をかみ、水源の間近なことか思わせる。土地の人情も素朴で、世の権勢から見捨てられた落人が住み着いたという伝説もある。 大正二年当時の戸数十戸、人口六十人、昭和四十三年の戸数十戸、人口五十五人であった。 木谷の伝説木谷の小字一覧『名田庄村誌』 木谷地区 浦部口 堂ノ所 大釜 柿本原 越下り 梅ノ木谷 片淵 下原 小畑 曲り淵 木谷 西沢 向原 下高座 下小谷口 竹屋谷口 小谷口 宮ノ谷 大釜 小谷 大谷 滝屋谷 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『名田庄村誌』 その他たくさん |
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