久保(くぼ)
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福井県大飯郡おおい町久保 福井県大飯郡大飯町久保 福井県大飯郡佐分利村久保 |
久保の概要《久保の概要》 佐分利川上流右岸に位置する。石山の一つ上流側の集落。兼業農家中心の農業地域。佐分利川支流久保谷川に沿って集落がある。川をさかのぼると坂道は2つに分かれ、名田庄の納田終と奥坂本に通じる。寄木造の釈迦座像を祀った釈迦堂があり、集落の集会場も兼ねている。 久保村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。熊野神社があったが、明治44年福谷の伊射奈伎神社に合祀された。同社には恵心僧都作と伝える釈迦如来像を安置する釈迦堂がある。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年佐分利村の大字となる。 久保は、明治22年~現在の大字名。はじめ佐分利村、昭和30年からは大飯町の大字。明治24年の幅員は東西8町余・南北4町余、戸数36、人口は男104 ・女76。 《久保の人口・世帯数》 123・42 《久保の主な社寺など》 古墳 地内に古墳が1基ある。 熊野神社 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 久保の主な歴史記録『大飯町誌』 久保 安川の対岸、久保川と大谷川の両谷を合わせた地域が久保区で、人家は久保川に沿って集まり岸谷、西谷の小名がある。 この集落の過半数は柿本姓を名乗っている。柿本五兵衛(元は五郎右衛門)家が本家で、その分家で集落に住む者が二五戸に及んでいる。柿本一族が発展した集落ともいえる。 本家柿本五兵衛の元の邸内に古墳が一基残っている。墳丘や石郭の上部は破壊されてしまったが、側壁や底部はまだ残されている。元はこの辺りはケヤキの大樹が茂っていた。今の屋敷はその一部で旧邸をせばめたものであるという。庭屯広く家も大きく珍しい間取りが見られる。庄屋屋敷であったが、長屋門などは今はない。この集落に明治以後火災が二回ほどあった。 大谷川をさかのぼっていくと、三軒家という所がある。ここには元人家が三戸ばかりあったのでこの名がついているのだという。この辺りに今もなお石灰窯の跡が残っている。 ここから坂路は二つに分かれており、一つは納田終へ出て、他は奥坂本へ越えるのである。この坂路は昔は相当に人の通りがあり、それで三軒家があったのであろう。上佐分利の一つの古い街道であったのである。明治・大正時代にもまだこの坂道を利用する人が少なくなかった。 神社跡 熊野神社という紀州系の社が祀られていたが、明治四十四年(一九一一)三月十日に福谷の伊射奈伎神社に合祀された。今は神社跡を遥拝所としている。ここの氏子に古い獅子舞が伝承されている (第七編第一章第三節参照)。この神社の由来は不明であるが、付近の熊野神社と同じ系統であるから、室町前後、修験者・山伏などの勧請によって始まったものではなかろうか。 釈迦堂 この集落には寺院はないが、寄木造り座像高さ一尺三寸二分の釈迦像を祀った釈迦堂がある。住民の多くは真宗で、ここで一切の仏事を行ってきたのである。元は石山の浄土寺の檀家であったが、浄土寺が小浜・妙光寺から離れて東本願寺末に転宗したため、それを快しとしない家々が、元のまま西本願寺末の妙光寺についているのだという。今も集落は東西二宗に分かれている。 永禄年中(一五五八~七〇)に武藤上野介が悪疫平癒の祈願をしたと伝えている。元は一堂の寺であったのであろう。『若州管内社寺由緒記』には、「一釈迦堂、本尊恵心の御作、唐絵の涅槃像有之、堂屋敷、山とも御免許に御座候」とあり、寺と同等の免許を受けていたのである。 菩提寺が遠いためにこの釈迦堂に留守居をおいて日常の仏事を行わせたこともあった。また、仏堂であると同時にこの集落の集会場でもあり、祭りの道具なども保管されている。その中の一つ獅子舞の道具の箱書きに文政四年(一八二一)九月□日とある。 久保の伝説久保の小字一覧久保 御城 祭神 御城口 東大谷 西大谷 三森越 ヒケ田 シホラ口 奥西谷 西ノ谷 西谷 杉ノ木 ヅリノモト 樋尻 西小治良 小治良 地主 奥地主 西ノセ 東ノセ 壱本木 六百城 梅ケ坪 正婦 正婦口 小谷 西深田 東深田 森本 北村中 南村中 小堂口 堂ノ奥 奥堂向 堂ノ向 クテノ下 平志 小山鼻 宮田 大岩 石藏 カクレ谷 小山 小山向 大畑 ヒキウス 小東谷 小前敷 東谷 休場 梧木迫 膳ノ田 イノコ迫 川尻 岸ノ下 岡ケ鼻 下小谷 梨本 奧梨本 梨本口 伯母ケ谷 東入口 蒙 広田 袋 袋谷 祭神 大谷 小袋 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『大飯郡誌』 『大飯町誌』 その他たくさん |
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